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2012/08/19(日) 「一粒の麦」畑中康雄勧士
「一粒の麦」畑中康雄勧士
信徒礼拝 ヨハネ12:23〜26

(内村鑑三先生の紹介)
 内村鑑三先生はご自身の系図を「私はごくつまらない者でございますが、やはり日本の武士の家に生まれたものであります。武士の家に生まれたばかりでなく、私の先祖をしらべると、先祖はつまらない百姓であったそうでありますが、鉄砲を撃つのが上手で、それがために天草にヤソ教徒が起こった時に狙撃にいくために雇われて彼地に行ってだいぶキリスト教徒を撃ち殺した、そのおかげで武士にとり立てられたということでありますから、その子孫たる私がキリスト教を信ずることは遺伝から言っても非常に
困難でありました。」と語っています。

(本日のみ言葉から)
み言葉に「だが、死ねば多くの実を結ぶ」とあります。自分の大切なものを捨てる事により新しい命に生まれ変わるというこのみ言葉に続いて「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」とあります。人が自分の立場とか、名誉とか大切に思いこの世的なものにしがみついている間は何も変わりません。新しい命は生まれませんが、それを神さまのために捨てる時に「永遠の命を得る」と言われているのです。イエスのご生涯は、特に十字架上の死と蘇りは正にその事の証明でした。イエスは自分の命に固守される事なく十字架上で命を捨てられました。その結果、神はキリストを高く上げられ、あらゆる名にまさる名をお与えになられました。
私たちが死ぬという事は本当に自分の生命を「殺してしまう」という事ではなくて「神さまの思いの中に自分を置いて、神さまが私たちに求めておられる事を信じて実行する」という事、それは「自分を犠牲にする」事が出来るという事であると思います。

(内村先生の悲しい思い出)
内村鑑三先生をこの上なく尊敬した1人に花巻市の旧家の息女で高橋ツサ子という女性がいました。
内村先生の門下生となり模範的な働きをしますが病気になり帰郷し27才で天に召されます。彼女の死を知った内村先生は愛娘ルツ子が重体であったにもかかわらず花巻に行きます。そして悲しい別れの司式をしている時に奥さんから「ルツコヤマイオモシスグキタクノゾム」との電報を受け取り帰京しますがルツ子は数え年19才で天に召されました。さて、高橋ツサ子のお母さんは内村先生に葬儀の司式を依頼しておきながら、同時に仏教の僧侶にも葬儀をしてもらいツサ子をお寺に埋葬します。そんな事をする母親だとは知らずに愛娘の重病を押して花巻に行き、葬儀の司式までした内村先生は流石に唖然とされたとあります。「信仰生活とこの世の生活」に直面して生きている私たち、このような事に遭遇した時、果たしてどのように対応すれば良いと思われますか。


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