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2012/09/02(日)
「神の業がこの出来事をとおして」大嶋博道牧師
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総員礼拝 ヨハネ9:1〜12 (序論) 9章3節が今日の中心となるみ言葉です。 私たちは苦難や試練を通して「何故このような理不尽な事が起こるのか」と神に問う事があります。今日のみ言葉はこの問いに対する答えです。
(本論) イエス時代のユダヤ人は病気になるのは先祖か両親か本人が罪を犯した結果と考えていました。しかし、イエスはそれは「神の栄光を現していく人間に変えられるようになるためである」と言われています。 人間の苦しみには「美しい自然が見えない肉体的な苦しみ」「社会的な(差別されると言う)苦しみ」「霊的な(罪の報いという)苦しみ」があります。この不幸な苦しみを通して神は「神の業を現していく事が出来るようにこの人を変えてくださる」とみ言葉は語っているのです。 しかし神は、神の栄光を現すために人を不幸にさせられるのでは無くて、この人の不幸を通してこの人が神の栄光を現す事が出来るようにとその人を変えてくださると言うようにこのみ言葉を受け取りたいと思います。大切な事は次の3つです。
@人が苦しみに遭うのには意味があります。多くの人が苦しみに遭ういます。出来れば遭いたくはないのですが、それは避ける事が出来ないばかりか遭うことに意味があるのです。 それは私の弱さを問いかけ、信仰に向き合う事が出来るようになる、苦しみの中で神を求めるようになると言う事が第1の事です。
Aその苦しみから「逃れる道」を神が備えていてくださると言う事が第2の事です。試練と共に「脱出の道」、「克服の道」も神は用意しておられるのです。
B神はあなたの苦しみを用いて神が素晴らしい事を示してくださる、神の栄光を現す事の出来る人間に変えてくださると言う事が第3の事です。
(まとめ) アメ−ジンググレスの作詞者のJohn Newtonは奴隷船の船長をしていました。そして自分のしている事に気づいて悔い改めて、自分のような者でも神さまは驚くべき恵みを与えてくださる事に感謝してこの詞を作りました。 また、仏人のルイ・ブライウェルは3才の時に失明するのですが、13才になった時に聖書を読みたいと思って点字を発明しました。目が見えないと言う事を通して彼は神の栄光を現す「点字」発明に至ったのです。 そして、大横綱の双葉山は子どもの頃に友人が放った吹き矢によって左目を失明しますが父親は最後までそれが誰だったのか伝えませんでした。双葉山はこの失明と言う試練を乗り越えて大横綱になりました。神はこのように苦難や試練を通して私たちを日々造り変えてくださるのです。
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