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2012/09/23(日)
「ヨブ記に学ぶ」畑中康雄勧士
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信徒礼拝 ヨブ記1:1から (はじめに) 人は何故、苦しまなければならないのか。このような問いをあなたはしたことがないでしょうか。 聖書の中にも苦しみについての書があります。その1つがヨブ記です。ヨブ記は苦しみに耐える力を必要とするあなたに何かを語ってくれます。今日はヨブ記を通して苦しみ、試練の意味を学びます。 (本論) @サタ−ンとは「訴える者」という意味です。そのサタ−ンが1つの問題に直面します。それはヨブには訴えられる理由が何一つ無いのです。そればかりか神はサタ−ンに対してヨブを誉められます。そして、神はその正しい人ヨブを信頼されてサタ−ンの手に任せられます。
A誘惑には「罪が大変美しく、魅力的に見える事」と「かけがえのないものを失ったために神から離れる事」の2種類があります。ヨブが特に悪い人であったから誘惑に遭ったのではありません。ヨブは神さまの試みによってその財産と家族等の全てを失ったのに神を呪わないで「主は与え、主は奪う。 主の御名はほめたたえられよ」と神を賛美しました。それほど正しい人でした。神の目からも正しい人でした。
Bイエスも同じようにサタ−ンの誘惑を受けられました。その時にサタ−ンの誘惑よりも「退け、サタ−ン…と言われ、悪魔は離れ去った」とみ言葉にあるように神の言葉を選ばれてサタ−ンを退けられました。同じように私たちもみ言葉によって「誘惑・試練」に勝利する事が出来るのです。 (結論) ヨブの苦しみから学ぶ事は何か。 それは @「神と神の恵みの手段(聖書・洗礼・聖餐)を重んじる人は誰でも神に栄光を受ける人生を送る事が出来る」と言う事が第1の事です。 Aヨブの苦しみの言葉は私たちの苦しみの言葉です。そしてヨブの希望は私たちの希望となります。同じように私たちの生き様は私たちの周囲の人に大きな希望を与える事が出来るという事が第2の事です。 Bヨブの苦しみの第3の意味は「ヨブの苦しみを通してイエス様を見る事が出来る」という事です。 ヨブが何の罪も無いのに試練に遭うという事は主の十字架上のお苦しみにつながります。 ヨブは「主は与え、主は取られる」「私たちは幸いを神から受けるのだから、災いをも受けなければならない」とイエスが十字架上の死を受け入れられたように、ヨブも神さまに全てをお委ねする信仰に生きました。このヨブの生き方に学びたいと思います
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