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2012/09/30(日)
「わが前を歩みて全き者であれ」大嶋博道牧師
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聖日礼拝 創世記17:1〜8 (はじめに) クリスチャンの信仰の全ては「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」と言う1節のみ言葉に尽きます。しかし、「神の前に全き者」となろうと努力しても私たちには色々な誘惑や試練があり、そう簡単には行い得ないのは現実です。 今日のみ言葉によると、創世記16章の終わりから13年を経過し、アブラハムが99才になった時に彼は「主の前を歩み、全き者となれ」と言う神の声を聞きました。その時のアブラハム は神の前を歩いていたのでしょうか。全き者であったのでしょうか?いいえ、そうではありませんでした。そんなアブラハムに神は「あなたをますます増やす」と約束され、「私の前に歩みなさい」と言われました。
(本論) 神がアブラハムに約束された創世記17章のみ言葉から次の2つの事を学びます。 @聖書の神は全能の神である(エル・シャダイ)と言う事が第1の事です。神は完全無欠であると言われました。全ての事が可能なお方であると言われました。全能の神は神が必要とされる事は必ず成し遂げられるお方なのです。「無から有を呼び起こされる」お方です。必要が満たされ、希望を与えてくださるのが全能の主なる神なのです。
A全能の神の前に歩み、全き者となれ、と言うのが第2の事です。「わたしに従って歩む」とみ言葉にある事は「私の顔の前に歩む」と言う事です。人は他人の「目」を意識して歩むことがあります。人間の目では無くて、神の目を意識して、神の目を注視して歩めと神は言われます。 「全き者」とは道徳的、倫理的に完全な者、非の打ちどころのない者というのではないのです。 「全き者」とは、四六時中、本当に神様の前を歩み、「神の眼差し」の中で神との関わりに生きる人のことで、神様はそういう人を求めておられるのです。それは、素直に自分の弱さを認める生き方、謙遜な生き方、従順な生き方です。それが神さまが期待しておられる全き者の生き方なのです。
(まとめ) 神様が求めておられる「全き者」としての歩みは、「喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。」とUコリント13章11節にあるような歩みのことです。私たちはこのコリント13章のみ言葉を信じて、実行して、神の前に完全を求めて、日毎に全能の神を求めて、神様のご期待に応える事が出来る歩みをしたいものです。
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