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2013/01/13(日) 「一粒の麦として〜置かれた場所で」大嶋博道牧師
新成人祝福礼拝 ヨハネ12:20〜26
(序 論)
 今日の中心となる箇所は「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(24節)と言うみ言葉です。今日はこのみ言葉から学びます。
それは一粒の麦として生きる、という事です。
 聖書の時代のイスラエルは、申命記8章8節にあるように小麦、大麦などが身近に存在する植物として人々には関心があり、例えに用いられることがありました。
今日のみ言葉はイエスが十字架に架けられる1週間前の出来事であり、一粒の麦が地に落ちて「死んだら=原型を失ったら」多くの実を結ぶという身近な事を通してご自分にこれから起きる事について語られたのです。
 この事は私たちへの語りかけです。25節には自分の命に固守して、自分の命にこだわるならばそれは空しく終わるがそれを必要としている人々のために有効に使うならばその人の人生は豊かなものになるとお教えになっています。

(本 論)
 本日は新成人祝福礼拝を守っていますので、今朝のテキストから「一粒の麦として生きる」ために次の3つの事を特に、新成人にお贈りします。
@一粒の麦として岩を土台として生きる、と言う事が第1の事です。 私たちが何を土台として生きるのかと言う事についてはマタイ7章24節以下に書かれています。みなさんはどんな生き方が自分の使命なのかと言う事を考えて聖書に基づく人生観や価値観をもって生きて欲しいと願います。

A第2の事は、日々新しきされて生きる、と言う事です。それはUコリント5章17節にある通りです。誰でもキリストの内にあるならば日々新しくされます。新成人になられた皆さんもどうぞキリストにあって日々新しくされて生きて欲しいと願います。

B愛の人にされると言う事が第3の事です。聖書は自分を捨てる事によってなされる愛の業を教えています。それは敵をも愛する愛です。あなたが存在する事によって周囲の人々に喜びを与え、慰めを与え、平安を与えると言う生き方をしながら愛に生きて欲しいです。

(まとめ)
 「一生の終わりに残るものは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものだ」というシャンドリーのことばを心に刻んで、「一粒の麦となって地に落ちること」、そして「犠牲的な愛に生きる」ことを心がけてください。
それが、ここにおられる皆さん、特に新成人に贈るメッセージです。祝福をお祈り致します。


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