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2013/03/17(日)
「失われた二人の息子」大嶋博道
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聖日礼拝 ルカ15:11〜32 (序論) 今日は放蕩息子物語が21世紀に生きる私たちに何を教えているかという事を学びます。 この物語は「身勝手な行動を取った弟」と「父の元でもくもくと生真面目に働く兄」そして「大きな愛を持った父親」の物語です。そしてこの2人の兄弟は結局「失われた存在」であるという事を教えています。2人の兄弟が本当に赦され、回復するには父の「アガペ−の愛」が 必要でした。 この物語が書かれた社会的背景として @ロ−マ帝国の定めた以上の税金を徴収し、私腹を肥やしていたために罪人と言われて いた徴税人や貧しい人々 Aパリサイ派や律法学者、長老などの宗教家で当時「義人」を自認していた人々 この2種類の人がイエスの周りに居たとという事がありました。そのような時代にイエスがこの物語をされたのは15章に3つの譬え話があるように「失われたものを徹底的に探す」「失われたものが見つかったら一緒に喜ぶ」というイエスがなさった愛の業 を知らしめるためでした。
(本論) 当時、父の財産を父の生前に要求するという事はあり得ないことで、父の存在を無視し、財産しか目に入らない常軌を超えた行動でした。そして父から貰った財産(ギリシャ語ではビオス=肉体的命)を全て無くした弟は悔い改めて父の元に帰ります。そのようなわがままで身勝手な息子に対して父はそれを赦し、「走り寄って」息子を迎えます。なりふり構わず息子を抱きしめ、良い着物を着せてご馳走を振る舞いました。 そしてもう1つ父の驚くべき姿がありました。それは兄に対する父の態度です。弟を温かく迎え入れた父の姿に怒って祝宴の外にいた兄息子に歩み寄り、兄を大きな愛で諭します。
(まとめ) ここから次の3つの事を学びます。 @神の無限の愛に気づく事が第1のことです。父の愛は無条件で無償で無限の愛です。 A本心に立ち返り,神のみ元に帰り神の平安を得る事が第2の事です。そのためには聖書を身近に置き、目で読み,心の耳で聴き、自分の口で聖書を唱え、魂の奥深くにみ言葉を留める事です。 B恵みの豊かさを知る事が第3の事です。 失われたものを数えずに、残された恵みを数えることです。あなたにとって神の恵みは十分なのですから。(Uコリント12章9節) 父の元から離れて身を持ち崩した弟、父の元に居ながら満たされなかった兄、この失われた2人の兄弟を大きな愛で赦し、温かく迎えてくださった神さまの元に私たちも帰りましょう。
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