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2013/03/24(日) 「イエスが言われたとおりだった」畑中康雄勧士
「イエスが言われたとおりだった」畑中康雄勧士
  信徒礼拝 ルカ22:7〜13
(序論)
 出エジプト記によると奴隷として苦しめられていた民を神様はエジプトの王のもとから去らせようとなさいますが「王の心はかたくなになり」神様の言う事を聞きません。そこで主は様々な災いを起こして主の力を王に見せつけられます。それでも王の心はかたくなだったので「最後の災い」によりエジプトの民の初子が全て殺されるという怖しい裁きが行わます。その時に主は傷のない小羊の血が塗られている家は「過越す」(災いを及ぼさない)と言われました。「過越し」には裁きの主が私たちを過越され、死ぬべき私たちを救われたという意味があります。私たちが死ぬ代わりに小羊が殺される、そしてその犠牲の小羊が私たちの救いのしるしとなった事を記念する祭りが「過越しの祭り」です。

(本論)
 旅をされていたイエスに弟子は「過越しの食事をなさるのに、どこに行って用意いたしましょうか」と尋ねています。するとイエスは水がめを運んでいる男に『先生が弟子たちと一緒に過越しの食事する部屋はどこか』と尋ねるように言われました。2人の弟子たちは果たしてそのような人に出会う事が出来るのだろうか、その男の人は引き受けてくれるだろうかと多分不安に思いながら町に出かけたと思います。しかし弟子たちはイエスの言われた通りに都に出かけて行ってみると「イエスが言われたとおりだった」のでそこで過越しの食事を準備しました。
ここで「イエスが言われたとおりだった」という言葉には次の3つの大切な意味があります。その3つの意味とは

@弟子たちはイエスの言葉に従う時には少々不安がありました がイエスの言われた通りであった事、即ち「イエスの言葉は 真実であった」事

A「イエスの言われた通りであった」というその言葉そのもの、 即ち「イエスの言葉がこれから起こる事に先立ってあった」 という事

Bイエスが、ご自身を神の小羊として捧げられた十字架上の死 について予め「二日後は過越祭である。人の子は、十字架に つけられるために引き渡される。」と過越しの食事の2日前に語っておられた事です。
 祭司長たちの謀略、ユダの裏切りがありましたが「イエスの十字架の死」はまさにイエスのお言葉が成就したのであって祭司長の謀略やユダの裏切りが成就したのではありません。

(まとめ)
 イエスが言われたとおりだった、と2人の弟子が過越しの食事を準備したように私たちも聖書のみ言葉を「そのとおり」と信じてみ言葉に忠実に従う信仰を持ちたいものと願います。


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