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2013/03/31(日)
心が燃えていたではないか」大嶋博道牧師
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イースター記念礼拝 ルカ24:28〜35
(序論) キリスト教は復活の宗教と言われています。主イエスの復活は私たちの「再創造」であり「再生」であり「再起」であります。 今朝は「イ−スタ−」の出来事をルカの記録から共に学びたいと思います。何よりも皆さんには復活の主イエスにこの礼拝を通してお会いいただきたいのです。 聖書によると @2人の弟子(クレオパともう一人)は失意の中で故郷のエマオに 向かって歩いていた。 A2人にイエスご自身が近づかれ、一緒に歩き始められた。 Bしかし、2人の目は遮られており、そのお方がイエスだとは気 がつかなかった。 C2人は暗い顔(憂うつ/気が重い)をしていた。 D2人はそのイエスにエルサレムで起こったこと全てを話した。Eイエスは2人に旧約聖書から解き明かしをされた。 F夕方、エマオ近くでの家で、2人はイエスと共に食事をした。 Gイエスはパンを裂き、祈りを唱えて2人に渡された。すると2人の目は開かれ、一緒に歩いていたお方がイエスだという事が分かった。彼らの心は道々、燃えていたことが分かった。 という物語が甦りのイエスと2人の弟子の出会いの物語として記録されています。
(本論) この聖書の箇所から次の2つの大切な事を学びます。 @復活のイエスと共に歩く時に心が熱く燃える経験をする事が出来るという事が第1の事です。 私たちは心が内側から燃える事によって私たちが今、取り組んでいる働きを続ける事が出来ます。そして心が燃えるためには今日の聖書にあるようにキリストと共に歩む事が大切です。 聖書を通して私たちに語りかけられるキリストのみ言葉が私たちの心を燃やす(カイオー)のです。
A第2の事は復活のイエスに出会う時に、本来の使命に向かって再出発する事が出来るという事です。「自分の命を使う」という事が「使命」です。「責任」とは「応答への能力」のことです。 あなたはこれから自分の命をどう使いますか。
(まとめ) イ−スタ−は私たちの「弱さ」を清算する時です。そして「再創造」される時です。復活された主のいのちを頂いて、日々、心が燃やされて新しい使命に生きたいと心から願っています。
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