|
2013/04/21(日)
「この家に救いが」 畑中康雄勧士
|
|
|
信徒礼拝 ルカ19:1〜10 序論) 聖書が書かれた時代の徴収人は罪人の1人に数えられていました。ザアカイもその徴税人の1人でした。そのザアカイにイエスは初めての出会いであったにも拘わらず名前を呼んで今日はぜひあなたの家に泊まりたいと言われます。食事も一緒にし、共に語り合い、悩んでいるあなたをありのまま受け入れてあげようとイエスは言われたのです。神様にありのまま受け入れられる事によってザアカイに「革命的な変化」が起こりました。それは罪の悔い改めです。
(本論) イエスは言われます。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜し出して救うために来たのである」と。さらに驚いたことに「救いがこの家を訪れた」と言われました。罪を悔い改めたザアカイと共にザアカイの家庭まで救われると言ってくださいます。 キリスト教は、人は罪を悔い改め信仰を告白する事によって義とされ、赦され、永遠の み国に入る事が出来ると教えています。「神」対「個人」の関係がキリスト教の基本関係です。しかしザアカイ物語には「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハム子なのだから。人の子は、失われたものを捜し出して救うために来たのである。」[救いがこの家を訪れた。」とあります。このお言葉を素直にそのまま受け入れて欲しいと思います。 神さまを受け入れる事によって「人の子は、失われたものを捜し出して救うために来たのである。」とイエスは言ってくださると共に「救いがこの家を訪れた。」と言ってくださるのです。1人の人が救われる事によってその救いは家族全体の救いに繋がるのです。(参照:使徒16章30〜31節「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」)(まとめ) この聖書の箇所から次の事を学びましょう。@神と出会うと言う事の不思議と必然性→神さまが私を捉えてくださるという事A神を受け入れる事から与えられる救い→私と私の家族の救いB人の子は、失われたものを捜し出して救うために来た、と言ってくださるお方がキリストなる神→「救いがこの家を訪れた」「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と言ってくださる神 この神の愛により、あなたの信仰を通してあなたとあなたのご家族が救われますようにとお祈りします。
|
|
|