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2013/06/23(日)
「神に用いられる人」大嶋博道牧師
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フレンズ・サンデー礼拝 出エジプト4:10〜17 (序論) 私たちは神様に用いられる存在なのでしょうか。もしそうだとしたら私たちはどのような生活を送れば良いのでしょうか。今日はこの事についてみ言を通して学びます。 まず、今朝のメッセージのテーマに対して前提となる幾つかのことがあります。 @私たちは「神の栄光」を現す存在である(Tコリント6:19〜20) A私たちは「土の器」にすぎない、弱くて欠けだらけの存在である。(Uコリント4:7) B主は、私たちを必要として求めておられる。(ルカ19:34) モ−セは最初の40年間はヘブライ人として母に育てられ、次の40年間はエジプトの王室で育てられ、そして次の40年間は「出エジプト」の指導者として聖なる働き(出エジプトの働き)をしました。モ−セは神の山、ホレブで燃える柴の中で神様の臨在に触れ、「今、我 が民をエジプトから連れ出すのだ」とのみ声を聞きます。しかし、モ−セは「私はその器ではありません」と躊躇します。そんなモ−セに主は幾つかの奇跡を行われ、ご自身の偉大な力を示されたのです。その後、神は「さあ、行くがよい」と言って、モーセを遣わしたのです。モーセは、結局、神に豊かに用いられ、イスラエルの民を、奴隷の地から約束の地カナンに導く大いなる働きを成し遂げたのです。 (本論) 主に用いられる人とはどんな人なのでしょうか。それは、 @自分自身が聖書のみ言に養い続けられている人→み言に支配されて、導かれ、教えら れ、励まされ、支えられて生きている人です。 Aいつも祈る事の出来る人→イエスご自身は祈りの人でありました。使徒パウロも熱心に祈った人です。「祈る事」によって (1)自分が何を必要としているかがわかります。 (2)自分が誰と共に生きているかがわかります。 (3)神からの答えを望み、忍耐して待ち続ける事が出来るようになります。 (4)神ご自身が持っておられる計画〜み心を探り、自分の思いが清められます。 (5)さらに、祈りの効果とは、神との霊的な交わりを持つ事です。 B自分の弱さと神の偉大さを自覚して謙虚に歩む人→モ−セやイザヤやエレミヤは、当初、神の召しに躊躇しました。神は「謙虚な人」、経験に乏しく、弱くて欠けのある人、「子ろば」を用いられるのです。 C栄光を神に帰する人→私の人生に起こった事は自分の手柄ではなくて神からもたらさ たものであるとして、神様に感謝して喜びを神に返す事が出来る人。 (まとめ) 私たちは弱い欠けだらけの土の器です。しかし、神が私たちを必要とされ、用いてくださる時に、私たちは謙虚になって主に従いたいと心から願います。
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