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2014/12/21(日)
「本当の豊かさを求めて」ルカ2:8〜14
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クリスマス礼拝 大嶋博道牧師 序 論: 私たちは何を手にした時に豊かだなあと思うだろうか。わが子のいい成績、団らん、大きな家、給料やボーナス…。辞書によると、豊かさとは「物が満ち足りて不足がない。経済的に恵まれて余裕がある。心や態度に余裕があって安定している。」と、書かれている。 では本当の豊かさとは何かを聖書、特にクリスマス物語から学びたい。それは物に依存したり、条件が整った時に感じる豊かさではない。 1・東方の学者たちに見る「貧しさの中にある本当の豊かさ」 東からの学者たちはバビロンから異様な星を見て、星を頼りに2000k離れたエルサレムにたどり着き、さらにエルサレムから8kのベツレヘムの貧しい家畜小屋で幼子である救い主に出会い、ひれ伏して彼らの宝物を捧げた。その後ヘロデの命令に服さず、天の導きで別の道を通って帰った。この学者たちの心の中は大いなる喜びがあった。 2・羊飼いの中に見る「貧しさの中にある本当の豊かさ」 羊飼いたちは当時アム・ハ・アレツ(地の民)と言われ、定住する所がないホームレスのような民であった。この羊飼いに神は救い主の誕生を告げられた。彼らはベツレヘムに走って行って救い主を見つけて神をあがめ、賛美ししながら帰って行った。 イエスが誕生した場所は経済的貧しさ、社会的低さ 無防備なところであったが、永遠に続く豊かさがある。ボンフェファーは次のように言った。「飼い葉おけに目を向けよ。本当の宝がそこにある。家畜小屋の飼い葉おけに思いを馳せよう。」と
本 論: キリスト教は「しるし」の宗教と言われる。イスラエルの民は荒れ野で「マナのしるし」に神の配慮を見、「雲の柱や火の柱のしるし」に神の臨在を確信した。そして今日のテキストの「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」も私たちに与えられたしるし、生きていく希望、救いなのである。 私たちが本当の豊かさを求める上で必要なことは2つある。 1・発見することの大切さ、気づくこと、隠されているものを見出すこと 心配してくれる友達がいること、働くこと場所があること、教会では奉仕の場所があること、学校に行けることの幸せ、したいことができることの幸せ、今置かれているところがどれだけ祝福されているかを気づくこと、神が私を生かしてくださっていることを気づくこと。あなたは高価で貴いと言ってくださる神の愛を感じること。 2・信仰を持って飼い葉桶を訪ねてみよう。 羊飼いは躊躇せずにベツレヘムを訪ねた。そこを訪ねなかった羊飼いもいただろう。しかし私たちは信仰をもって飼い葉おけに寝かされた幼子を礼拝しよう。ここに本当の豊かさがある。信仰とは望んでいることを確信すること、見えない世界を確認(見る)すること。先が見えない中でなお望み続け、その日その日を喜ぼう。その延長線上に明日の喜び、1年後の喜び、将来の喜びがある。人生の最後にイエス様に「よく生きたね、忠実に生きたねと言っていただける」ことを確信して。
まとめ: 「キリストが千回ベツレヘムにお生まれになっても、あなたの心の中にこの方がお生まれにならなかったら魂がなお捨てられている」(A.シレジウス)
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