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2005/03/15(火)
人生にリハーサルは無いんだよ!
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ほんのりのり。19:26
もくじ ・やはり幸福は相対的なものであった!
まえ、幸福を感じたいなら自分をどん底に落とせばいい、 だって、一度どん底に落ちたら、あとは上るだけだから、幸福なことばかりじゃないか!と。 こんな思想を書いた気がするけど、それを今日まさに実感している。
だって、「明日はテストない日だ」ってだけでずいぶん気分がいいもん。
幸福っていうのは、ある一定の水準があって、 「こっから上は幸福ですよ」 っていうものじゃない。
じゃぁ、幸福かどうかっていうのは極めて不明瞭なものなのか、というと、そーでもない。
似たよーなことを某日の思想から繰り返すことになるかもしれないけど、 「今より満足できる状態になった時こそが、幸福である」と薙はここに定義しようと思う。勝手に。
またしても同じようなことを言うけど、 「明日食べるものもない人にとっての一万円」と、 「年収8000万の人にとっての一万円」を比べると、受け取ったときどっちが幸せかはわかるでしょう。
薙の実体験は、こうです。
予備校時代……一日4時間たらず勉強しにいって、あとは家でパソコンとゲーム ↓ 合格〜入学……一日じゅうパソコンとゲーム ↓ 看護学校春……覚えることの多さに、戸惑いを隠せない ↓ 看護学校夏……落書きできる先生とそうでない先生を見極めては、落書きばっかり ↓ 看護学校秋……基礎看護実習U。その後はテストやグループワークが増え、過酷になってくる ↓ 看護学校冬休み……赤点続出、鬱モード突入 ↓ 看護学校冬(現在)……毎日テスト
ごらんのとおり、みるみるうちに過酷な生活へ変化していきます。 この忙しさのために、薙は不幸感を感じていたと考えられます。
毎日一日中遊んでいられた時代から一年。 ちょうど365日前くらいは、ほんと勉強も課題も仕事もなく一日じゅう部屋にこもって遊んでた。 たぶん、一時間でも勉強することになったら不幸を感じていたと思う。
あれから365日たった今は、毎日テストと赤点の恐怖とグループワークに追われ。 今では、一時間でも暇ができただけで幸福感を感じられる体になった。
何が言いたいかってーと、辛い生活のあとは必ず幸福になれるっていうのは、ある意味ではホント。
冒頭に述べたように、「今よりよくなれば」幸福感は得られるんです。
10の生活をしている人は、11の生活をしたくなります。 11の生活ができれば幸福感を感じられるでしょう。
でも、5の生活をしている人は6の生活ができれば幸福感を得られるわけです。 たとえ10の生活をしている人にとっては不幸であっても。
不幸を感じることなく10から11、11から12と行ければ理想なんですけどね。 バネみたいなもんで、一旦10から5に縮めることで、20まで一気にいけたりするもんなんじゃないか人生って。
そーでも思い込まない限り努力できないんですよね。
一言レス >なんか文に切れが無い文章を読んでるのに合わせて画面が動いていくCMっ!>JT
そんなCMあったっけw あんまテレビ見ないしなぁ。 日本公共広告機構?
>迷惑 >2005.3.15 貴方の近所の女性が登録されました!
だから?
イラストより漫画のほうが向いてるんかなぁ薙は。
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