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2004/03/23(火)
分かれ旅立ち。音楽。うつ病。
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長年付き合った人との事実上の別れの時期が近づいている。 出会えばいつか別れが来る。別れとはとても寂しいものではあるが、新たなる道への旅立ちでもある。
これから先、生きているが故のいろいろな壁が待ち構え、のしかかってくるとも分かりません。
それら背中にのしかかってきたたくさんの重荷を翼へと変化させるために、私は今使える羽根を精一杯使いきって、先に新しい道へ行きます。。。
背荷は旅立ちの翼なり。
ほっと
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変わって音楽の話。
前から気になっていた柴田淳さんの曲を聴いてみた。
自己紹介にも書いたが、俺にとって俺にとって音楽とは「時間軸を一定のリズムに整え、感情や思想を調律してくれる必要不可欠なもの」
そんな要素に彼女の曲が加わり、日々充実してゆく音楽ライフ。
私は本当に幸せなんだなぁ〜って思った。
音楽って素晴らしい。
またまた話変わってうつ病。
気になってもっと分析し、考えてみました。 (わからん人は20日の日記を見てくださいな)
精神病とは身体の病気とは違って、気持ち(ハート)の問題。 先天的なもの、自分の身の回りの環境などから得た、脳内での感情データの繊細なやりくりに問題をきたしている病気であろうと勝手ながら断定した。
その上で自分を分析しようと思った経緯は以下である。
今までは身の回りの人を対象に、見て分析し、行動を悟ることに興味を抱いていた。いわゆる人間観察。 (こんなことを言っては相手に失礼だが…) 人間って不思議だなという疑問がその興味心を高めていた。
いつからだったか、ふっとしたきっかけでその対象の中に自分自身が放り込まれることがあった。 自分自身への興味も身の回りの人への興味と同様に出来上がっていた。
そして実際に自己分析した結果が以下である。
最近はやりたいこともはっきりせず、心なしか少しだけ意志が散らばってしまったような気がする。その散らばったベクトルを一定方向に整えるためだけに生きているような気もする。 そんなことを思っているうちにも、受け取るもの(新しいベクトル)が多すぎ溢れ、中心(自身)から離れていく、どこまでも広く、開放的な草原にポツリと独り残されたような脱力感をたまに感じる。 (精神病の自分を精神科医の自分か診察してるような不思議な気分)
.....
でも、完全には自分を悟りきれない。というか生きていながら自身を悟りきれる神のような人は、この世にはいないであろう。
結局、ほんの少ししか分からないのである。
結果はどんなに模索しても少しも答えはまとまらなかった。でも、これだけはいえるような気がする。
「主観的に生きる」
当たり前の人には当然のことで、無駄のように思えるかも知れないが、私は客観性に長けている反面、主観性に欠けているということを以前から感じていた。また、このような自分自身の冷静な分析からも覗える。
全体の結論は、「なすがままでまったりした気持ち」を切り替えて、明日からはもう少し主観的(詠嘆的?)に生きようと思う。
精神病は身体病と異なり、自身で治せない精神的問題を抱えることという位置付けであると見受けられる。
だから自分で治せる(直す方向に向けられる)なら精神病ではない。
これが結果から得た新たなる考察だった。
へへ〜んだ、9個引っかかったってうつではないぞ〜!!w
家でぐーたらしていた1日でしたが、精神的にはとても向上したと思われる1日でした。
わ〜い!!(主観的ってこんな感じ?)異常だなw
今日はぐ〜たらしてたから写真は無いよぅ〜。。。(寂) 今度はあげるから楽しみに待っててね〜
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