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2005/01/18(火)
思い出の人C・先生編
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さて、本日は女性の先生編。といっても直接教わったのではなく、仕事の上で大変おせわになった、某有名女子大の教授(当時)。 私は、随行員という仕事を引き受けることになった。お偉いさんを10名ほど引き連れてアジアの僻地(といってもそれほどでもないのだが)を視察する世話役。 調査を兼ねた視察旅行の責任者たるそのH子先生の日常は多忙を極めており、1週間の視察旅行の参加を承諾して頂けただけでもありがたいこと、なので極力配慮いたします、と言ったのは私の上司… それから私の不眠は始まったのでい。 「連絡事項は、朝6時45分から7時前にしてね、それ以外は多分電話出られないわ。」 しばらくは、朝6時半に電話の前に正座、な生活になった… 仕事は10時からなので私は8時半に起きればいい筈なのに・・・
とはいえ、現地に入ってしまえば有意義だ。毎日見学し、様々な話し合いや、ちょっとしたレセプションなどを、現地の方や、日本人といえど外交官、民間人、知事や政治に関わる人、農業に携わる人、旅行業の方など各業界の方々と行うことで、全て学ぶことばかり。 だが後半になると、昼の会議ではとうてい言い足りないH子先生は、夜更けにツカツカと男性の部屋に乗り込んで(といったって、全くあやしいわけではないんだけれど)、社会構成云々語り始める。 休肝日を真剣に考えているお年頃(オーバー還暦組)の面々の眠そうな表情をよそに、ホテルの冷蔵庫を開け、備えてあるウィスキーやバーボンを片っ端から開けてラッパのみでクイクイやりながら、つるつるしゃべり続け、朝が来る。翌朝8時の集合時間には何も無かったかのように真っ先にいらしていた(随行員冷や汗っ)。 いやあ〜参りました。ねむいっす。 自分の母(専業主婦)と限りなく同年齢だとわかり、狭かった私の女性観を広大無辺なものにして頂きました・・・
そのあと、何人かの随行員が自殺、というニュースが流れた。公金であったとしても見学もせずにカジノに行っちゃる!という「視察」がしばしば覆い隠されていた頃でもあった。 中心となる先生も私も女性であったために、全体として節度あるツアーだったのである。(内心、全員男性だったら軋んでいただろうと思う瞬間が何度かありましたナ。) 感謝
思い出の人B・先生編は http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/iiryn/?Y=2005&M=1&D=17
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