いいりん ☆ ゆつくりえいと ☆
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2005/11/28(月) 昨日のつづき
 そのあと、もう少しひさしの少ないのができました。これは丁度毛糸の区切りのよい長さ…80メートルピッタリなサイズ。
毛糸の長さにあわせてデザインとは!
…と、お叱りをうけそうですが、それはゆ創りのよさ。
そして物足りないイメージが、ループヤーンでモコモコの縁取りをするというアイデアをもたらしてくれた、というおまけつきです☆

2005/11/27(日) 秋のひさしのついた帽子。
 今の旬は、こんなカタチです。濃いめの色がよさそうです。
というのも、上の部分がメッシュなので、髪の色が少し見えるからです・・・
あ、金髪のヒトの被る生成り、ピンクメッシュのヒトのピンクの帽子なども見てみたいですけど。

これが誕生したのは、ニットアウトというイベント(あざみ野)で参加者に配られた糸のおかげです☆
少し濃淡のある濃い緑色のウールでした。

2005/11/24(木)
 ひさびさに、乗用車というものにのりました。
 所用で都内を縦断するかたちになったのですが、とても楽しかったのです。
 海沿いの横浜から東京までのドライブは別世界。そして皇居の周りや有楽町の縁を神田に向けて走り、文京区からもすこし北へ。
 銀杏もちらほら黄色く色付き、乾燥しはじめた大気にくっきり存在感を強めはじめています。
 でも・・・そこがよく歩く道などだったりすると、
す〜〜〜っと走り去ってしまうのは、希薄すぎてなんだかイケナイ。結果、灰色の道路ばかりが眼に残る、運転しているわけでもないのにね。
とても忙しいヒトにとっては、道端の街路樹も、流れていってしまうんだろうな…
 
 ちょうど夕暮れになったころ通った青山〜表参道の一帯は、もうキラキラ耀いてクリスマスシーズンの演出ばっちりでした。

【もうすぐ12月なので背景かえてみました。
 キャンドルジュンさんの灯す炎】

2005/11/19(土) ちょっといっぷく。
熊猫さん。

2005/11/14(月) 百人一首
  来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに
    やくや藻塩の 身もこがれつつ


前に何句か百人一首を載せました。それは書くことがないな、という日に記憶にあったものを載せたのですが、今回は、マツをキーワードに捜してみました。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
                        出典:「新勅撰集」より
来ぬ人を まつ帆の浦の 夕(ゆふ)なぎに
やくや藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ

  権中納言定家(ごんちゅうなごんていか )

■口語訳

いくら待っても訪れてこない恋人を毎日毎日待ちこがれている私は、
あの松帆の浦で夕なぎの頃焼くという藻塩のように、
燃え盛る恋の思いにやかれて、身もこがれるほどに苦しんでいるのです。    

■作られたワケ

権中納言定家は、百人一首のうち九十九首まで選び終え ました。しかし、あと自分の歌が決まらないので、ある 女の人に訊いてみると「藻塩の歌」がいいというので、 この歌にしました。    

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 ということだそうです。
…ということは、百人一首も、この一首を待って完成したのですね〜
「選者」でもあった藤原定家といえば、和歌の世界の超有名人ではないですか。

 なぜ、マツをさがしたかっていうと、10月にお友達のもっているカードを引いたら、《wait》というカード。
そのあとカードをシャッフルしているその手からピョンと飛び出たのも、おなじカード。もう一度やり直そうと、最後にシャッフルしたらまたでました。
その二日後、公園にいきました。
「ああ!大きな木!」と足をとめてみあげると、松平家の下屋敷にあったというマツ。一名、おろちの松。
その二日後、兄が思い出のお菓子としてさんざんデパートを探し回って買ってきたのは松江の和菓子の、山川。これは松平不昧公のゆかりの干菓子。
 そのあと、松を苗字にする女性と二人、出会いました。
そして二日前、同じお友達にもう一度、カードをひいてもらいました。
 そうしたら、またまたジャンプして机に落ちた一枚。こわごわ表に返せば・・・44分の1の確率で《wait》のカード。・・・・!わお

そんなわけで、昔の和歌はよく言葉をかけて、言葉遊びをしたそうですが、それにならって、日本人してみました。(そしてまた、言霊の言葉どおり、言葉の連鎖におどろき、たのしみつつあります)

それと、個人的には、《松》よりも、《竹》に魅かれるのです♪

前回は…http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/iiryn/?Y=2004&M=9&D=27
http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/iiryn/?Y=2004&M=6&D=8

2005/11/11(金) 地域通貨とあみもの
全然関係ないようなテーマ、ですが、
私は、この何年かずっとこの二つをつなげることをテーマにしてきたのです。

買うことと、創ること。
 そう言い換えてもいいのかも。
働く時間と、創る時間。
 これも含んでいると思います。
市場と、コミュニティ。
 これだって言い表しています。

前に、字を書くのがいやになって、編み物をすることにした。といったことがあります。

テキスト・・・文字・記号の氾濫。
 実体はある? 感触は確か?

そんな生活にちょっと冷たさを感じたら、その語源でもある編み物をしてみるといいのでは? という提案でもありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88
単純! にして深いな。 
あみものは5000年前のアイスマンも、7000年前の縄文人も、私も同じようにできる、適正技術です。縄文人はこれを作っていた、と大騒ぎしても、それとは違う個性的なものもいっぱいいっぱい作っている人がいた中で、たまたまそれが発見されただけなので、イメージを固定化しないでおきましょね〜〜

 いつだって、その人のアイデアが活き、個性を映しこむことができそうですね。

掲示板 http://bbs1.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/7170/

【この画像は、ほんと関係ないです 笑
 月曜仕事帰りに、皇居あたりで…】

2005/11/10(木) ひととあう、というのは自己形成でもあるので・・・
 昨日、一期一会、と書いたけど、いったいいままで、何人の人に会ったのかな。その度に、実は自己イメージが形成されていく。。。
何度も会える人もいる、たった一度、話をきいただけで人生観を変えてくれるような人もいる、あんまり会いたくない人、あえなくなった人もいる。
 家族でも毎日会えるとは限らない。やっぱり人と会えると嬉しい。

テレビやラジオができる前は、直接会うか、伝聞や文字しかなかった。
・・・ということを心に留めて生きてみたい。
直接と、間接では、ちがうのだ。
 
 ひとと会うことと、本を読んだり映像をみることとの違いってなんだろう?

 これは私の<人生のサブテーマ>! おっと大袈裟。
でも、それを心の片隅に、今日も家を一歩出るのだった。買い物にも、地の果てにも。

街でしょっちゅう見かけてしまう人もいる。
 そうかとおもうと、何年に一度か、奇跡的な確率で、あってしまう人、というのがいる。それも、何度も、ある兆候とともに。忘れる前に、そんなこともいつか書いてみたい。
 タイミングで、縁みたいなものを察知しなければならないのではないか。
そんなふうに感じることもある。

2005/11/09(水) ひとにあう
 一期一会、まだ軽はずみに口に出すこともできない言葉、だけどこれを常に心に覚えて、意識できる、つまり悟ることできたら、いいなあ。
覚悟のできている人。
まだまだ、なわたし。

掲示板 http://bbs1.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/7170/

【画像は むかご。ツルから地面に落ちて拾っているとき、真っ赤な七星てんとうを見つけました】

2005/11/04(金) < アク >のこばなし・・・
今日は、フェルト(不織布)のつくりかたを教えてもらいました。
お湯に中性洗剤を溶かして原毛を浸すと縮む性質を利用して、形をつくることができます。

 でもお話しだけだったので、今度、原毛を手に入れることができたらやってみよう!
 という先のおたのしみです。

 そう思っていたら、なんと奇遇、帰ってきて、いい話しをききました。
正倉院の御物のおはなし。そのむかし、天平時代に日本にやってきたフェルトのおはなし。
 シルクロードを伝って、絹だけではなく羊毛のフェルトも伝わってきたそうです。
中国の西の果て、西域の遊牧民は羊毛が衣類の中心だったのですね。
アカネや藍など色、濃淡もさまざまだそうです。

 それで、その時代は中性洗剤ではなく、木の灰の灰汁(アク)を使用したそうです。

あ〜これでやってみたし。

1200年以上経ても、麗しいなんて。
ちなみに、当時、「なら」ではやはり絹、麻が主流だったそうです。

奈良国立博物館で14日まで公開されているそうです・・・

2005/11/03(木) 手仕事の、あし!
和裁の裁縫士さんの仕事。
手仕事、ですが、左足の親指人差し指がなんと活躍していたことか。

きもののイベントの一角で正絹の着物をまえに、
もくもくと、ワザを披露されていました。

わたし・・・何十分も釘付けでした。

11月絵日記の続き


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