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2005/05/13(金)
「雨。水の難」
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関東地方もあと一月もすると梅雨に。 去年はいつになく台風や津波など、水の難が多かったの思い出すと今年はフツ〜に過ぎて欲しいと願いたくなります。 さて、私のトラウマ的水の難の思い出は。(たまにはこんな話題も書いてみたくなります)
去年は、6月のダイアリーにも書きましたが、富士山の草原でほぼ一昼夜雨の中にいた、という体験。くるぶしまで水。長靴の人は、水たまりを履いて歩いている状態に(笑) 晴れていたらいいのになあ、寒いなあ、でも雨は止みそうにないなあ、と内向的になることが、ここで必要なことだった(んだろうな〜) 儀式の火を囲み、3,600人の輪ができた。それは素晴らしかった!! でも、台風の中、気温も低かったので、数週間響きました・・・
その前の年は、4月の冷た〜いどしゃぶりの雨の中でまたまた苦行のような半日を過ごしたこと。イラクに爆弾を落とす必要はないはず、との気持ちを表現するためにすばらしい音楽仲間たち(私は素人ですけど)と演奏に参加した。というより、走ったりした。 この日は上下ちゃんとしたレインコートを着ていたのに、 いつのまにかじわっと冷たい雨が染みて救いようのない気持ちに。 ガタガタ、ガイコツオドリの初体験ですヨ〜(ほんとうです) 仲間がいたから、翌日に仕事があったから、何とかもちこたえられました。(この気分は、戦災の中の人も同じかもしれないなあ。) あとで仕事中の知人からのメールで「まさかバケツ合羽隊ってのは冗談だったんでしょ〜」と来て、冗談を地で行く勇気にわれを笑ったのであ〜る。
水の難の大波は、三日間壊れた小さいボートで漂流の日々 in Amazon。 一夜はボートの上で、水を掻きだし掻きだし・・・長い闇。 次の夜は人気(ひとけ)の皆無(マラリア、猛獣うじゃうじゃ)な川岸に這い上がり、しなる細い木に無理無理ハンモックを吊った。(絵的にはアンリ=ルソーの夢、の世界) このときは、初めは怖くて動機がして、眠ると死んでしまう気がしました。
ところが、突然感覚が冴えてきて、「大丈夫、危険なときには私は察知できるのだ」と悟って(諦めとは違うんよ)、皮膚感覚を経由して入ってくる情報で、場の状況をいつになく穏やかに操れるようになる。 川と、緑と、火があったからだと思う。・・・ふつうじゃとっても無理な体験。でも、サンダルとTシャツでよし。レインコートも長ズボンも虫除けも不要。 身体は熟睡し、知覚は冴えたまま眠る、という不思議な体験をしました。 赤ちゃんを抱えた裸の森の達人家族と一緒だったのも支えになった気がする。守ってあげたいひとびとに守ってもらってる。この瞬間、ほんとうに大切なことがわかりました。ありがとう。 月が水に反射している〜 と、一瞬で朝。
おすすめはできませんが、夜通し小さいボートで川を行くと、世界中の神話や伝説の大方の意味を察することができるようになったりします。 あと、たっぷりα波出ます!!
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