いいりん ☆ ゆつくりえいと ☆
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2005/08/30(火) 思い出の人D・先生編(気分は文明開化)
学校の話しがでて、急に思い出したF先生。 
 国際海洋法を講義してもらった先生。国際法を考えるときのバランス感覚とか、限界のあたりをとってもわかりやすく的確に(赤裸々に)話してくださったので、私はまず、目に鱗がついていたことに気づき、そしてそれ、とったほうがいいかも、と気づくことが出来ました。深謝です。

なんだけど、本編(国際法)以外で思い出深いぞ。
 私のいたゼミのS先生とは、ソシアルダンスのよきライバルだったそうだ。
S先生がクラシックを取っちゃったから、対抗できないから、おれはラテンで攻めるよ、と実は、腰の動きはラテンに決まり(!)なF先生はいった。声よし、スタイルよし、勤勉実直。
なんてったって 君はバラより美しい〜♪ その実のお兄さんなんですもの。


 学生の頃、F先生とS先生はいざ共に洋行せん!!
…咸臨丸に乗って(な訳ないけどその迫力で)アメリカの大学院に乗り込んだ、そうだ。
ずっこけたそうだ、さんざん。
そこから抽出されたエッセンスを、私は聞くことができたのだ。

 S先生の名言(私にとってね)
欧米の会議は、遠くから集まって、全員敵同士、握手で武器を持っていないことを確かめ合って始まり、一つ一つ合意が増えてく。
日本は、そこにたくあんとお茶があって、全員名前もお互いの田んぼの稲の生育状況も知った仲の会話の要らない囲炉裏端みたいなもん。始めはがやがや和やかだが、問題のフタをあけると、だんだん険悪になって分裂していく…

という例えばなし。背景が違う、ということをココロせよ、と付け加えられた。
ほんとだなあ、と思った。
F先生とS先生、洋行先(笑)で、夜な夜なそういった文明観や女性のくどきかたなんかも、語り明かしていたのかもしれないね。

このお2人は、全くタイプが違って見える。雰囲気も。年齢もF先生のほうが3,4歳下だ、なのに盟友のようなのだ。
 すてきだ。 


 以前の 思い出の人Cは↓
http://diary1.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/iiryn/?Y=2005&M=1&D=18

2005/08/28(日) 八月が終わる…
今日は、ちょっとのあいだ中目黒川沿いにいた。
 夕暮れ、鈴虫が川のほうの木陰からりーんりーんと鳴きはじめた。

 さみしいなあ。
そんな気配があたりを包む。今日は太陽も顔を見せてくれない。
心の中は、涼しいなあ、じゃなくて、さみしいなあ、になっている。
ふと、虫、いっぱいいるんだなあ、とも思う。

一緒にいた友達も、通りがかりのひとも、
「もう秋ねえ…」と言っている。
返事は「そうねえ…」くらいしか思い浮かばない。

その続きの言葉を用意していたでもなく、つい言ってしまうひとことなんだなあ、
今日みたいな日には。

しんみり。


 

2005/08/27(土) ゆめゆめ、
 眠っていて見る夢は、とても個人的なこと。
今日は、転寝していて一瞬見たゆめがあった。
(本当は、今迷っていることがあって、それをどうすればいいか出来るだけ大きい視点で考えなければ、と思っていたら、眠ってしまった・笑)

それは、こんな夢。
 実家の庭になぜかあったビニールのプール(子供の頃遊んだ)があり、水が張られているけれど枯葉や黒いくもの巣のようなゴミが浮いている。
それを前に、普段なら私はこんな溜まっている水は絶対にいやだ、と思うのに、なんかまるで自分が金魚かなにかのようにコレデイイ、と頭から潜ろうとする…
 いざ入るとそのちょっと捨て鉢な考えが変わり、そのとたんに苦しくなって水から這い出たけど、目が霞んでよく見えない、男の人の声がするので助けを求めると、父だった。
というようなもの。

 息苦しくて目覚めて、とても不安というか、不穏な気分で落ち込んだのに、偶然見つけた下のようなwebで、ちょっと落ち着いた。【困難を切り抜ける】象徴という。

 この夢と直接関係があるのか、ないのか分らないけど、きのうこんなことがあった。
 よく行くまあまあヘルシーなバーガーショップで涼んでいたら、前に座ったスーツのきちっとした男性が、雑誌を舐めるように見ている。
それには、戦車や武器の写真が満載されている。電車や洋服の雑誌と同様に兵器専門の雑誌があることは、とうに知っている。子供の頃、兄弟が買っているのを読んだこともある。

 だけど、今この時期にみた、この光景には、ショック。。。
このスーツの男性が何を思ってみているのかが分らない私は、焦燥感を感じた。
 


  ■ ■ ■ ■ ■ 夢について(チベット的解釈)■ ■ ■ ■ ■ ■
困難を克服することを示す夢の内容は、黄金、財宝、貴石、進軍ラッパ、穀物、飾り物、鎧、敵を討つこと、などである。
 次に挙げる夢は、明らかに否定的な内容だが、実際には良い結果を意味し、困難を切り抜ける象徴である。首を切り落とす、人肉を口にする、血で体を洗う、酒を飲む、剃髪する、火傷をする、汚水に体を浸す、町を内臓で囲む、日中に情交を持つ。

 次の夢は、悪霊によりもたらされる障害を意味する。虎、豹、猫、犬、豚、ロバ、鼠、さそり、いたち、蛇、はげわし、梟、小人、色が黒くやせた裸の人、肉屋、青白くやせた子供、背の高い裸の男、以上のいずれかとの闘い、干上がった井戸、積み重なった骨と頭蓋骨、荒廃した家。

 一般的に、以下の事象が現れる夢は、悪い夢であると解される。兵士に追われる、植物油を体に塗る、体が不自由、または背中が曲がっている人物と会話を交わす、日の入り、月の入りを見る、砂山や小枝の山を登る、赤い花を見る、歯が抜ける、ロバ、またはらくだに乗って南へ行く、狭い小路を抜ける、湿地帯を歩き回る、坂を走って下る、人間、または物の一部を傷つける、誰かに負かされる、不健全な行為に耽る。このような夢は、ほとんど功徳が得られない、短命な人生を意味する。ラマ僧は、悪い夢を見た者に対し、以前従事していた活動を再開する前に、功徳を積み、空の瞑想を行い、護摩により平和を祈願することを勧める場合が多い。

2005/08/21(日) シーサー君
ちょうどドアをあけたところによくいるネコ、まるでシーサーのように守っていてくれる。
といっても、いつも寝ている。

昼寝を起こしてしまいました。
                             mew...

2005/08/20(土) 満月です(19日夜)。
月、思わず、みとれました。

2005/08/19(金) 韓国その2
16日に、琴さんについての思い出を書いてみました。
その次の冬、もう一度韓国へ行きました。

今度は、「みよう」と思いました。
ソウルから、38度線の青瓦台という建物の見える国境線沿いへ。
途中の大通りはとても広く、滑走路として使えるそうです。
また、橋がいくつも架けられています。ちょっと不自然な気がしていたら、これは有事には爆破して落として道路を封鎖することができるそうです。
占領時代の日本が立てた建物も遺っていました。

国境沿いの、一番緊張する場所にあった守衛小屋のようなところにいたのは、鉄砲担いで、でも、
いかにも陽気そうな若いヤンキー氏でした。それがとっても印象的でした。
全くの第三者、実は主人公。
資料館や展示をいくつか見ました。

 帰り際に、ふと振り返ってみました。
ひろびろとした風光明媚な風景、綺麗だなあ、奈良の都を眺めたときみたいな、穏やかな気持ちになる、と感じました。
本当はこの一帯は朝鮮半島でもっとも豊かな穀倉地帯だったが、今は田植えどころじゃないです、勿論…という話しをきいたときに、力が抜けてしまいました。
…今でも一番心に残っているのは、餓えに苦しむ人がいても、もっとも豊かな田んぼは荒れ放題という現実です。

 前に仲良くなった釜山のヨンヒちゃんのお兄さんは、兵役の間の休暇で実家に戻ってきたところでした。休学中でもありました。
わたしは時代が数十年逆戻りしてしまったような目眩を感じました。
ヨンヒちゃんの家はお父さんは居なくて、お母さんが豆などを売って小さな街中の家で2人の子供を育ててきたのです。

羽織らせて貰った軍隊のジャケットは重くて擦り切れていました。
こっそり祈っておきました。〜どうかこれらのすべてが無駄になりますように、役立ちませんように、必要ありませんように、忘れ去られる世の中でありますように!〜

2005/08/18(木) 帽子、最近ははかどりはじめました。
 6月ころからなんだか手が動かなくて、なかなか創れなかった帽子たち。
でも、7月末にであった、やさしい糸のおかげで、また湧いてきました、創る気が。
 とにかく季節や気分に左右されやすいわけですが、それはアンテナを磨かなきゃだめじゃん、てことでもあるんですよね(溜息…)
さて、秋のイベントにフォーカスしようっと。

 8月の暑い暑いイベントに自作の無農薬野菜を提供してくれたヤヨイさんは笑って言いました。
「自然栽培、なんていっているからには、畑に行ったり運ぶ車にもクーラーはつけられないわ〜」
 私も家でクーラーキンキンで創った帽子はNGとしているので、この感覚に共感です。でもさ、あんまり暑いと創れなくなって、そうすると、帽子作家返上ってことになってしまいます。
 嗚呼、別荘よ。避暑地よ!さもなくば温暖化やヒートアイランド現象の終焉を! (順番逆っぽい 笑)


【ひさびさに、帽子。有機綿を手紡ぎで糸にしたものを、触ったらあまりに気持ちいいので、分けていただきました。それを、帽子にしてウッドビーズもつけてみました。プラムはがいあの新鮮量り売りで!】

2005/08/17(水) あついあつい
また残暑がもどってきた。

【えだまめ。茹でてみたら、中から黒豆登場! ちょっと固くて味しっかり】

2005/08/16(火) 琴さん。
私の海外旅行には、順番がありました。

18歳。
一番近いお隣りさんのところから始まります。
韓国プサン。フェリーの旅。日韓の30人くらいが集まり、仲良く、そして取り立てて細かい計画はなし、うだうだ交流しました。それがお互いを感じ、交流するにはよかったと思います。女性の間にパンチパーマのようなパーマが流行っていて、可笑しかったのも思い出します。
尼僧姿の同年代の女性がいたことも印象に残っています。

 プサンのユースホステルは、丘のてっぺんに落っこちそうに建っていました。
その近くにちいさな雑貨屋さんがあり、『小学校の門の近くにあった文房具屋さん』のような懐かしさを感じたので立ち寄ると、白髪のおじいちゃんは日本語で話し掛けてきました。
にこにこしていました。
なぜ日本語を話せるのかという私の問いに、おじいちゃんは戦争の時代の話をしてくれました。
 それなら、日本人は憎いはずでしょう?
ときいたら、「やられたほうは、そのことは決して忘れることはありません、でも、ユルスということができるのも、やられたほうにしかできないんですね」

わたしは、悲しくなって、ごめんなさいの気持ちを表現しようとしましたが、うまくできませんでした。
それを察したのか、おじいちゃんは
 「手紙を書くから、返事を下さい。」といいました。

果たして、一ヶ月ほどすると、日本の私の家に手紙は届きました。
綺麗な日本語で、丁寧な文章で。
私も返事を書きました。
不思議な気持ちでした。
その後、3,4度手紙は行き来しました。それは大事にしまってあります。
でも、私が忙しくなったこともあり、途絶えてしまいました。

たしか、コンさん(琴 龍述)さんというお名前だったと思います。
お元気でしょうか、それとももう天寿をまっとうされたでしょうか。

2005/08/15(月) 靖国参拝、するならば。
戦争が終わりました。
60年が経ちました。
小学生だった母が、70歳を越えてしまいました。
母は、物心ついたばかりの子供が経験すると、あらゆることに対して、不信感や混乱に一生悩まされるわ。
戦争の傷っていうのは、見えないところにいっぱいあるわ。
 といいます。

 大人が混乱した戦後。そんな姿を見て、幼いものたちはどうしていいか分からなかった。昨日と今日で違う常識を、信じ込まされていた…

 今日も明日も変わらずにいられるために、非戦という常識を。

ところで、靖国神社に行く、行かないが毎年問題になっています。
わたしのソリューション;

靖国に行く首相。税金で買うことの出来た背広と、ネクタイと、ズボンと、パンツ(も税金で買ったのね、もちろん)、靴を履いてその足で、飛行機に乗ってください。

そして、韓国・北朝鮮、中国、マレーシア、フィリピン、インドシナ、ビルマ(ミャンマー)、インドネシア、ハワイ、テニアン島、沖縄も
…思いつく限り戦争で被害を及ぼした場所に赴いてください。
心から、人々に鎮魂の祈りを、土地に浄化を祈って来てください。
人種、国籍、貧富の差、すべてを越えて、同じ重さで。

うまくいえないけど、思ったことを少しだけ書いておきました。

8月絵日記の続き


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