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2005/08/16(火)
琴さん。
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私の海外旅行には、順番がありました。
18歳。 一番近いお隣りさんのところから始まります。 韓国プサン。フェリーの旅。日韓の30人くらいが集まり、仲良く、そして取り立てて細かい計画はなし、うだうだ交流しました。それがお互いを感じ、交流するにはよかったと思います。女性の間にパンチパーマのようなパーマが流行っていて、可笑しかったのも思い出します。 尼僧姿の同年代の女性がいたことも印象に残っています。
プサンのユースホステルは、丘のてっぺんに落っこちそうに建っていました。 その近くにちいさな雑貨屋さんがあり、『小学校の門の近くにあった文房具屋さん』のような懐かしさを感じたので立ち寄ると、白髪のおじいちゃんは日本語で話し掛けてきました。 にこにこしていました。 なぜ日本語を話せるのかという私の問いに、おじいちゃんは戦争の時代の話をしてくれました。 それなら、日本人は憎いはずでしょう? ときいたら、「やられたほうは、そのことは決して忘れることはありません、でも、ユルスということができるのも、やられたほうにしかできないんですね」
わたしは、悲しくなって、ごめんなさいの気持ちを表現しようとしましたが、うまくできませんでした。 それを察したのか、おじいちゃんは 「手紙を書くから、返事を下さい。」といいました。
果たして、一ヶ月ほどすると、日本の私の家に手紙は届きました。 綺麗な日本語で、丁寧な文章で。 私も返事を書きました。 不思議な気持ちでした。 その後、3,4度手紙は行き来しました。それは大事にしまってあります。 でも、私が忙しくなったこともあり、途絶えてしまいました。
たしか、コンさん(琴 龍述)さんというお名前だったと思います。 お元気でしょうか、それとももう天寿をまっとうされたでしょうか。
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