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2005/01/24(月)
今日の晩飯は
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砂ズリの塩コショウ炒め。 とご飯とたくあん。。。ちゃんと切ってある。 あとサラダ。 だった。
昔、幼稚園に入る前、朝起きると誰もいない状態だった。 母は生まれて1月ほどで仕事に行っていたらしく、誰もいなかったのを覚えてる。 パンダの絵の載ったメラミン食器に俵おにぎりが4個。 あとヤクルトが一つ枕元においてある。
正確には起きれなかった。 朝の気ぜわしい時間。上3人の姉や兄の学校の送り出しやなんかでどたばたしてるので、起きたらまたみんなの機嫌が悪くなるから。 二間(台所兼用の4畳半と6畳の寝床兼居間)の借家にだったからそんな騒がしい中で眠れるわけもなく。
元々は今の実家に住んでいたが、祖父母だけでなく、父の姉家族も一緒だった。兄や姉の様子から、学校の先生が家庭で何かあると気付くぐらいに精神的には悲惨な環境だった。 父は農家を継ぐと実家に帰ったため、収入はない状態。 母の収入だけでは学費もかさみ、実家へ一部渡すためほとんど金が残らない。 兄はいつも学生服で遊びに行っていた。 せいぜい白いトレパンがあるだけで外出に着れる服などはなかったから。 だから兄の中学頃の写真は全部学生服ばかり。
食事も当然別々。すぐ脇で焼き肉をしたりしていても、こちらはおかずがないなんてざら。 お茶かけも出来ず水かけご飯を食べた事もある。 お茶なんて贅沢な。と嫌みを言われるから。 残った肉を犬にはやっても、ウチの家族に回る事はなかった。
虫歯が出来れば、贅沢をしたと言われる。そんな金があるなら家に入れろ。と。 だから言えない。でも、病院に行く金もない。 ただ、母に泣いたらイカン。声を出したらイカン。と震えながら言われる。 母は熱が出ても働かされた。 子供がぜんそくで苦しんでいても。 だから、風邪を引いたりすると俺も黙って寝ていた。 自分でハンカチを濡らして頭に当て、その頃どの薬がどれと知らないので、どんな病気も正露丸を飲んで寝ていた。 それを飲めと最初に言われたのか自分でそれは飲んでも良いと思ったのかまでは記憶にない。
母に休みなど無かった。 昼間手伝わないから。と夕方帰って日が暮れるまで。 日が昇って仕事に行くまで。 どうかしたら姉や俺をつれたりおぶったりして田んぼや畑に行った。 自分の居ない時に家においとくのが怖かったらしい。 何をされるかと、不安だと。
兄たちの事で先生が来て、母はやっと家を出る事にした。 それでさっきの借家に入った。 隣が母方の祖母だった。
父も来た。 母の頭に箸を刺すなんてこともあった。 でも、病院に行けば、警察沙汰になるからと、母は行かなかった。 一日仕事を休むと3日後には食べれなくなるからと仕事に行っていた。
母方の祖母が、そんなするなら娘を帰してくれという言葉も幾度となく聞いた。 父の騒ぎが始まると、下の姉が俺をTVの前に連れて行った。 いつもよりもうるさいぐらいボリュームが大きかったが、隣の部屋で割れる音やなんかはやはり耳に入ってきた。 どうかすれば、姉も途中で隣りに行った。 ひたすらじっとじっとTVを見つめてるしかなかった。 それと、泣く事しかできなかった。
それからちょうど幼稚園に入る頃、実家にいた姉夫婦が実家を出る事となり、ウチはまた実家に引っ越した。 祖父と、実の姉には頭の上がらなかった父。 平穏な生活は祖父が亡くなるまでのほんの数年だった。
その間、祖父にいつもついて回っていた。 散歩、田んぼ、風呂上がりの肩たたき。。。 でも、祖父が亡くなった時に、もう、これで、へつらわなくて済むと気が楽になった。そしてその一方で、また父の騒ぎが始まるのか。と。 祖父が亡くなった日も泣かなかった。 もう、泣いても変わらないと判っていた。 父は変わらない。と。
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