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2005/11/28(月) 哀悼
2001年世界ラリー選手権世界王者、リチャード・バーンズに哀悼の意を捧げます。
こんばんは、けーすけです。

今日、2001年の世界ラリー選手権(WRC)世界王者、リチャード・バーンズが亡くなりました。

僕は、世界のレースシーンで戦う日本車が大好きです。
F1、ル・マン、MotoGpなど、世界中で日本車が活躍しています。
もちろんWRCでも。

WRCで活躍する日本車と言えば三菱・ランサー、スバル・インプレッサが代表的な車です。
バーンズは、三菱にも、スバルにも乗りました。
イギリス国内選手権ではスバル・インプレッサを駆り史上最年少でチャンピオンも獲得しています。

WRCでは1998年に三菱ランサーで初勝利を挙げています。
僕がバーンズのファンになったのは再びスバルに移籍した1999年でした。
99年、00年と惜しくも年間総合2位とチャンピオンは取れませんでしたが、イギリス人ドライバーらしい派手ではないが無駄のない走り、それ故に速く・美しい走りがスバルブルーの車体をいっそう美しく見せていたのを記憶しています。

そして翌年、バーンズは英国人初のWRC王者に輝きます。

2002年からプジョーに移籍し、勝利こそ挙げられなかったものの、03年にはチャンピオン争いに加わる活躍をしてくれました。

しかし、その03シーズン終了直前、バーンズは脳腫瘍により倒れてしまいました。
この時、04年シーズンは再びスバルに復帰することが決まっていました。

2年間の闘病生活、一時は回復したとのニュースも流れましたが2005年11月28日、34歳という若さで亡くなりました。
WRCでは通算10勝、そのうち8勝がスバル・インプレッサでの勝利です。
バーンズの王座獲得は常にスバル・インプレッサとともに在りました。

偉大なる世界ラリー選手権王者、リチャード・バーンズに哀悼の意を捧げます。


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