少しずつ内容が変わっていきます。写真をうpしたり、日記風に書いたり・・・
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最新の絵日記ダイジェスト
2010/04/21 もう2週間ほど前ですが
2009/11/24 鳩の巣渓谷にて
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2005/06/26(日) 少し気楽に
管理人を交代してもらえてうれしい。
これからは自分の日記とやらに専念?できるしw

ちょっと疲れているのは本当です。
自分が考えてきたことの全体の意味を少し問い直しています。
ライフワークだなどと大げさに考えてきたけど、いざとなると
きちんとしたことも書けないし、まいったなという感じ。でも
多分また元気になっていろいろ書いたりできるようになると思う。
思いたい! 

でもモー娘。もかわいいし、berryzも(・∀・)イイ!!
きょうのハロモニでは、亀ちゃんが少し元気を取り戻してきたように
見えたので、それだけで少し気分が回復したりしてw 
ホント、おれって馬鹿だね。

ちょっと前のハロモニからだけど、こういうのを見ると少しは
ほっとする。今、大人になりかけてるのかなとも思う。ののは
ずいぶん大人っぽい顔になりました。頑張ってるんだなぁ。

2005/06/24(金) ちと疲れてま・・・
そろそろbbsの管理人をだれかにかわってもらおうかな。
ちょっとつかれちゃったみたいです。頭が日に日に悪くなっていく
感じがして、何だか方向性を変えないとだめみたいな気がするのです。
立候補などbbsの方によろしく。

ベリ工のmomoとmiyavy。中2と中1だと思う。辻加護がこのくらいの
ときに僕はモー娘。ファンになったのでした。その辻加護ももう18。
月日が矢のように過ぎていきます。フゥ・・・。

2005/06/17(金) 9人体制は短い期間でした
今はもう1人ふえてますよw
それにしても、ちょっと力不足かな。
ミラクル参加で現状打破なるか。

2005/06/14(火) 倉庫でつ
http://ippa-hanyou.hp.infoseek.co.jp/

2005/06/13(月) MICHISHIGE
「よし、きょうもかわいいぞ」と気合を入れて仕事に向かうのだそうな。
しかし、かわいいというよりは、なぜかエロいw

2005/06/12(日) 差異・ずれ・自体?
生態心理学のお勉強を少しずつしていますが、僕の考えも少しずれているみたいだし、現象学ともずれているし、全部が少しずつずれていて、その中心でみんなが見ているものが何かというのは、まだわからないみたいです。複合不変項っておもしろそうですが、直接知覚の理論はまだ形成途上にあるようで、なかなかつかみ切れない感じがしています。

無関係な話ですが、きょうの夕方の空にはとても繊細な雲が見えていて、うちに帰ったらデジカメで撮ろうと思っていたら、途中渋滞に巻き込まれてしまって、帰宅時にはもう終わってしまっていました。残念。


tomoyo

2005/06/10(金) 勉強会とか・・・(不機嫌な亀)
ちょっとまじめに勉強会でもやりたくなってきた。難しそうだけど、生態学的視覚論の読書会を時間をかけてやるとか、どうかな。頭がついていけるかちょっと疑問だけど、2chにスレを設けてそこで雑談しながら、HPとかでじっくり勉強するとか。できたら、現象学をきちんと勉強してきた人がいろいろ教えてくれるとうれしいかもしれない。


かなり以前のkameさん、最近こういう表情はしなくなった。

2005/06/09(木) 愚痴みたいなもの
やっぱりピアジェなのかなぁと、ふとおもた。発生的認識論という構えはどこか好きなのだ。なぜ好きかというと、そこには人の認識の歴史的なパターンを理解しようという前向きな志向があるからだ。僕は、学生時代に「世界史の総括」という構えを持った。これは、単に近代をアウフヘーベンすれば前史が終わると考えるのではなくて、真に前史を終えるためには、世界史の総体を概念的に把握し、その全体をアウフヘーベンするプロセスを経なければならないと考えたのだ。その鍵は、近代と前近代の関係そのもののうちにあると思えるのだ。

僕は、市民社会と共同体という対比をこれまでも微塵スレで何度か触れてきた。近代社会の原理を全近代社会に対して包括的に優位なものと考えるのは単なる近代主義だと思う。共同体の意識と市民社会の意識は、多分相補的であり、その両者はいずれも人類にとってかけがえのないものなのだ。しかるに、近代は前近代を正しく理解してこなかったと思えてならない。

ピアジェから感じたアイデアは、幼児期・小児期の人間が持つ「生気論」的な意識と、その後の「脱中心化」した意識とが、前近代と近代の関係とパラレルであるということなのだ。これは、偶然の一致ではあり得ないから、人の思想の形成というプロセスが、進化における系統発生と個体発生の関係のように再生産されていると感じたわけだ。これと、「自然としての意識」とは無関係ではないことは明らかだと思う。そして、例えば「生態的心理学」は、その差異に対してアプローチする一つの正当な視角を提示しているように感じたりもする。

まあ、この辺は単なるアイデアでしかなく、とても直感的な思いつきレベルの話であって、これをきちんと記述することは僕の手に余る。難しいとつくづく感じる。やっぱ愚痴だね、こりゃw


珍しく色気のある?tomoyo

2005/06/07(火) 少し考えてみたのですが・・・
客観的にみられた主観の内容を考え始めると、途端に頭のなかが混乱し始める。もう少し時間を置いてゆっくり解剖していかないと、とてもまともなことは言えそうにもないでつね。ショポン


young tomoyo

2005/06/06(月) 不完全ながら断定してみますた
実体とかイデーとか不変項とか、よくわかってもいない概念を次々に繰り出しては、さらに観念の迷路に踏み込んでいるような僕ですが、実は、実体・イデーという概念は僕には理解不可能なものなのでした。今も理解できたと言うつもりはありません。ただ、微塵スレ以来の一連の話のなかで、もしかしたら、不変項と呼ばれいてるものと実体やイデーと呼ばれているものが、共通の何かを指しているのではないかということを思いついたに過ぎません。これをきちんと論証するには、またしても、僕自身が哲学的概念の海を上手に泳げなければならないという問題が発生します。そして、それこそが僕が最も苦手とするところです。ですから、この作業は多分当面不可能であり、あるいは僕個人としては死ぬまで不可能である可能性が大だと思います。

僕にとって「主観」とは何かという問いは、いつもぼんやりと問題になってはいても、それ自体を主題的に考えたことはありませんでした。僕のなかでは、それは多分「分極」という言葉で済んでいることなのです。この場合、「分極」には絶対的な意味はありません。そして、主観の内容は実は客観的なものであるということが、僕の考え方であるということは既に何度も述べてきました。つまり、この主観の内容とされているものと、客観とされているものは、理論的に不当に分割されているのであって、本来区別すべくもないということです。このことを思惟や思想の客観性、あるいは自然としての観念という言葉で言ってきたと思うのです。ですから、僕たちが世界を対象としているとき、僕たちは世界です。この世界は、そういう仕方でしか存在し得ないという意味で絶対的な世界です。強いて逆説的な言い方をすれば、世界は主観的な様式でしか存在し得ないし、その意味で「独我論」的な世界だと言ってもいいと思います。

しかし、ここで言っている主観は伝統的な主観とは違うものです。ここでは生体の活動としての主観という言い方をしておきます。

主観を抜きにして世界を論じることができるのは、僕たちが「抽象力」を持つからですが、そのようにして見られた「客観世界」は、主観を「客観的」に含んでいます。この場合の「客観」は、生きた主観世界を「消去」して見られた世界です。ですが、これ自体は一つの抽象物であって、それが依って立つ基盤である主観を「消去」することによって、一種の「擬制」として成立する世界観の一つであると考えられます。

ところで、この「擬制」としての世界観は、決して恣意的に構築されたものではないし、また逆に恣意的に壊したり、否定したりできるものでもありません。間違いなく必然的な世界観であって、それには立派な根拠があると考えられます。その一つが自然科学なのです。自然科学は、その基底に主観を含んでおり、実証主義は主観を消去してはいません。ただ、その記述において主観を「消去」しているだけです。本当には消去することはできません。科学が「哲学」を常に暗黙に前提していると考えられるのもそのためです。

MOMO2

6月絵日記の続き


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