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2004/03/16(火) 市民劇
2B 中世の市民劇

14世紀ごろまでに、劇の上演は聖体祝日の祝祭とかかわりをもつようになり、40ほどの劇からなるサイクル劇が登場した。サイクル劇は典礼劇と似ているが、別の道筋で発展をとげてきたとする説もある。サイクル劇は4年か5年おきにその全体が上演されたが、それにはまる1日か2日、長いものでは1カ月かかることもあった。上演は、たとえば船大工たちがノアの物語を演じるというように、劇のテーマによって、ふさわしい商業組合(ギルド)にわりあてられた。

俳優の多くは字のよめない素人だったことから、劇は簡単におぼえられる韻文で書かれ、作者の名も知られていない。中世の世界観にしたがっており、史実に忠実とはいえず、展開も論理的ではない。舞台では写実的な描写がときにはもちいられたが、内容的には時代錯誤的であったり、地域的な問題や時事的な問題があつかわれていたりする。時代に正確である必要はなかったので、衣装や道具類は同時代のものがつかわれた。可能なかぎり写実的に上演しようとするあまり、キリストの磔刑や罪人の絞首刑、悪魔の火刑のような場面で、実際に命をおとしかけた俳優の話がつたわっている。一方、紅海が2つにわれる出エジプトの場面では、赤い布が海のかわりにつかわれたり、モーセの一行を追跡して海にのみこまれたエジプト人を暗示するのに、その布を彼らの上にかぶせるというように、写実的な手法と象徴的な手法が同時につかわれたが、中世の人々はそのことに戸惑いを感じたりはしなかった。見世物的な要素や大衆芸能を可能なかぎりとりいれ、「地獄の口」には当時の最新技術をもちいて花火などをふんだんにつかった。サイクル劇は内容的には宗教とかかわっていたが、人々は娯楽としてたのしんでいた。

上演には主として3つのやり方があった。イギリスではページェントの山車(だし)がもっとも一般的で、かつてのブースは、現代のパレードでつかわれる小さめの山車のような移動式舞台になり、町のあちこちを移動した。観客はそれぞれの場所にあつまり、参加者は山車、通りにつくられたプラテア、台をくみたてた仮設舞台で劇を演じた。スペインでも似たような方法がとられたが、フランスではかなりの幅がある舞台の上にブースがいくつもつくられ、あつまった観客を前にしてそれぞれ別の劇が同時進行的に演じられた。3つ目はイギリスのもので、円形の広場の周囲にブースが間隔をおいてつくられ、観客はその間を移動して劇をみるというものだった。

2C 道徳劇

同じころ、やはり作者不詳の民衆劇・世俗的ファルス・田園劇が登場した。もちろんすでにあった種々雑多な大衆芸能も今まで同様盛んで、それらの影響下に道徳劇が15世紀に成立した。道徳劇のテーマや登場人物はキリスト教からとられたが、サイクル劇のように聖書の物語を演じるのではなく、それ自身で自立していた。たとえば「エブリマン」のような道徳劇は、1人の人間の一生をえがいており、吟遊詩人や吟遊歌人のような職業俳優によって演じられた。寓意的な登場人物はそれぞれ死・大食・善行などの美徳、悪徳をあらわしていた。道徳劇の戯曲は、韻文の韻はくりかえしが多く単調で、シェークスピア劇の2〜3倍の長さがあることもめずらしくなく、そのうえ説教くさく現代の読者にとっては退屈である。しかし、演技者は即興で音楽や場面を挿入し、悪徳をあらわす登場人物の喜劇性を追求して、娯楽性の強いものにつくりかえた。

3 ルネサンスの演劇
北ヨーロッパの宗教改革によって、16世紀半ばには宗教劇の系譜に終止符がうたれ、かわって新しいダイナミックな世俗劇が各地に登場した。サイクル劇や道徳劇の単純さとシェークスピアやモリエールの劇との間には途方もない距離があるように思われるが、中世後期には人間の葛藤・不幸や同時代の世俗的問題への関心、喜劇的なものとグロテスクなものがふたたび姿をあらわし、新しい演劇が生まれる素地ができていた。さらに、素人俳優から職業俳優への移行もみのがせない変化である。

ルネサンスはヨーロッパの地域によって、はじまる時期がそれぞれことなる。世界観・価値観の変化も、急激におこったのではなく、その速度はゆっくりとしていた。演劇におけるルネサンスは古典演劇を復活させる試みであった。しかし実際のギリシャ・ローマ演劇がどんなものだったか、当時ははっきりと知られていたわけではない。また古典時代の思想はルネサンス期の時代精神によって恣意(しい)的に解釈された。だから新たに生まれた演劇は、古典演劇の性格をいくらかそなえてはいたものの別のもので、ふつうそれは新古典主義とよばれている。


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