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2004/03/22(月) イギリス文学とは
●イギリス文学 イギリスぶんがく

ヨーロッパ 英国 AD 

 イギリス文学とは,イギリス諸島において,英語によって書かれた文学のことである。ブリテン島には,前2万5000年以降,大陸から石器文化をもった者たちが移り住んだとされているが,彼らは英語を話さなかったし,人種的にもイギリス人の祖先とはいえない。古期英語(アングロサクソン語)による文化をもった北欧の部族がブリテン島に移住し,イギリス民族が成立した7世紀ごろ,イギリス文学は始まったといえるであろう。
【イギリス民族の成立とイギリス文学の起源】紀元前2000年以上も前の新石器時代のブリテン島は,ストーンヘンジなどの巨石文化を残した古代イベリア人の居住する島であった。紀元前5,6世紀ごろになって大陸から侵入し,先住民族を駆遂して独自の文化を築いたのがケルト民族である。ケルト民族は,有史時代の初めには,アルプス以北のヨーロッパ中部および西部に広く分布していた一大民族であった。ブリテン島に移住したケルト民族は,北方系のゲール族(今日のアイルランドや西部スコットランド地方に残存する)と,南方系のブリトン族(今日のウェールズ・コーンウォール・ブルターニュ地方に残存する)に大別しうる。

 ケルト民族の侵入はキリスト教の伝来以前であり,彼らの宗教はドルイド教であった。彼らはチュートン民族によって大陸から追われ逃亡してきた民族であったが,ブリテン島に居住するようになってからも,たえず抑圧され,物質的にも恵まれなかった。このような宿命と,苛酷な現実への幻滅と反動から,夢みがちで想像力に富む性情をもつようになったと考えられる。イギリス文学の詩的想像力に富める部分は,ケルト民族の資質と文化的遺産によるものといわれている。中世ロマンスの華,アーサー王伝説群は,ブリトン族の遺産であり,オシアン伝説群はゲール族の遺産である。

 前55年,ジュリアス=シーザーの率いるローマ軍の侵入により,およそ400年のあいだブリテン島はローマ人の支配下に置かれ,ローマ文明・文化の影響を受けることになる。ローマ軍の占領下,ブリトン人を率いてローマ軍に頑強に抵抗したブリトン人の族長があった。アーサー王と円卓の騎士たちの伝説は,このような歴史的事実から発生したとされている。ローマ軍は本国ローマが西ゴート族に脅かされ始めたため,ついにブリテン島から撤兵せざるを得なくなり,5世紀の初頭ローマの支配は終わる。

 そのころ,今日のデンマークや北ドイツのあたりからジュート・アングル・サクソンの3種族がブリテン島南東部に侵入し,先住民族を追放して王国をつくった。3種族はイングランドの七つの州を支配し,七王国制の時代を迦える。彼らが今日のイギリス人の中核をなすアングロ=サクソンであり,彼らの言語,すなわち古期英語で伝えられた口承文学がイギリス文学の起源である。


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