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2004/03/31(水) ウィキペディア

西洋

古代
演劇の正確な起源は分かっていない。一般に、古代の宗教的祭祀が発展したものではないかと考えられている。
古代ギリシャでは、紀元前5世紀頃にギリシア悲劇が成立し、巨大劇場で演じられるまでに発達していった。紀元前330年頃、アリストテレスは「詩学」のなかで、ギリシャ悲劇について論じると共に、文献に残る最古のドラマ理論を記した。「詩学」に書かれた理論は、現在もなお西洋演劇に影響を与えている。

古代ローマでは、土着の宗教とギリシャ演劇が融合し、娯楽性の高い劇が栄えていった。悲劇の分野では、前1世紀頃のセネカが、韻文による優れた作品を残している。


古代エジプト演劇
古代ギリシャ演劇
古代ローマ演劇
ギリシャ神話を題材とした文学作品一覧


中世
キリスト教が欧州に広まって以降、演劇の内包する批判性・娯楽性が、教会による弾圧の対象となった。演劇は悪と見なされ、ギリシャ・ローマ時代のように、劇場で上演されることがなくなった。この時代は500年以上続く。その間演劇は、旅芸人や大衆芸能の一つとして語り継がれていった。

10世紀頃になると、ローマ・カトリック教会が布教のため、演劇的様式を取り入れ始めた。聖書の内容を解説するための演劇が、教会によって行われた。これらは聖書の視覚化であり、布教のためにも有益だった。宗教劇は民衆に受け入れられ、民衆自身の手で聖史サイクル劇や神秘劇へと発展していった。その過程で娯楽化が進み、再び教会にとって好ましくないものとなっていった。

宗教劇は、ヨーロッパ各地で執り行われる祭りの一部に、今も痕跡を残している。

15世紀頃には、面々と受け継がれていた大衆芸能の流れを受け、寓話的な喜劇である道徳劇がイギリスを中心に成立し、ルネサンス期以降、欧州に広まっていった。


宗教劇(オラトリオ)
典礼劇 - 復活祭劇 - 降誕祭劇
受難劇(聖史劇)

聖史サイクル劇
神秘劇
道徳劇
パジェント


ルネサンス期
宗教改革以降、人間の世俗的な姿を描く演劇が現れ始めた。また、ラテン語で書かれていたアリストテレスの「詩学」が翻訳され、劇、戯曲の理論化が進んでいった。

ルネサンス期には建築技術も発展し、現代的な意味での「劇場」や「舞台美術」の原型が形作られ始めた。


イタリア
15世紀のイタリアでは、「詩学」を理論の基礎においた新古典主義演劇が生まれた。現代にまで続く様々な演劇の理論や様式が、この時代に形作られた。16世紀にはオペラが誕生し、独自の発展を遂げていった。
イタリアで発生した新古典主義以外の演劇の潮流としては、仮面即興劇のコメディア・デラルテがある。コメディア・デラルテは幅広い層に支持され、ヨーロッパ各国の演劇人に多大な影響を及ぼした。


イギリス
16世紀後半、エリザベス1世の統治時代、ロンドンでは独自の劇場文化が花開いた。新古典主義演劇の観客は貴族が中心だったが、ロンドンの劇場では一般の民衆も貴族も同時に一つの劇場で観劇することが多かった。劇作家は工夫を凝らし、あらゆる階層の人に受け入れられるような戯曲を書く必要があった。
この時代のイギリスでは、クリストファー・マーロー、ベン・ジョンソン、ウィリアム・シェイクスピアなどの劇作家が活躍した。1640年に起こったピューリタン革命では、劇場は閉鎖・破壊され、ヨーロッパの注目を集めたロンドンの演劇文化はいったん幕を閉じることとなった。この時期のイギリス演劇は「エリザベス朝演劇」と呼ばれている。

1660年に共和制が崩壊し、王政復古の時代に突入すると、演劇の上演も再開されるようになった。


フランス
17世紀のフランスでは、コルネイユ、ラシーヌ、モリエールなどの劇作家による喜劇が人気を集めた。モリエールの死後、モリエールの劇団を中心にコメディ・フランセーズが結成された。同劇団は現在も国立の劇団として活動を続けている(継続して活動している劇団としては世界最古)。

新古典主義演劇
オペラ
コメディア・デラルテ
ファルス
フランスの古典コメディ
コメディ・フランセーズ
エリザベス朝演劇


18世紀
18世紀は俳優の時代とも言われる。演劇は主に俳優を中心に考えて作られ上演された。時には古典劇の戯曲が、演じやすいように、あるいは俳優の好みに合うように書き換えられることもあった。演劇史に名を残す劇作家は、この時代は非常に少ない。しかし、演劇自体は盛んに行われていた。また、演劇のメインストリームが、王侯貴族によって保護された芸術としての演劇から、中産階級を主な観客とする日常の娯楽としての演劇へと、徐々にシフトし始めた時代でもあった。
ドイツでは、劇作家・啓蒙家のレッシングが戯曲「サラ・サンプソン嬢」を書き、中産階級の生活を描く市民劇の先駆けとなった。また、レッシングは「ハンブルク演劇論」(1767年-1769年)を記し、劇作技術についての新しい演劇論を展開した。

フランスでは劇作家ピエール・ド・マリボーが、フランスの中産階級の生活風景を題材に多くの喜劇を発表した。

イタリアではカルロ・ゴルドーニやカルロ・ゴッツィが、イタリアのコメディア・デラルテを革新しようと試み、フランス喜劇の生活感を描く手法を用いて多くの喜劇を書いた。



19世紀

19世紀イギリス演劇

ロマン主義演劇
メロドラマ
ウェルメイド・プレイ
自然主義演劇
リアリズム演劇
ロシア演劇
クローゼット・ドラマ

客間喜劇

20世紀以降
20世紀イギリス演劇

表現主義演劇
シュールレアリズム演劇
ベルトルト・ブレヒトの叙事演劇
不条理演劇
実験演劇
即興劇
ミュージカル
ワークショップ
リーディング


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