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2005/09/25(日)
●「僕たちは、何と戦えばいいのだろう・・・」と考えた事、ある?
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■絶薬の効力
この休みに、ようやく『絶望に効く薬』の第5巻を読み終えました。
いままでの中で、この5巻は一番、いいと思いました。
中でも、血反吐を吐きながら戦う富野御大将の話と、現代社会の異常さを突いた森毅先生の話、それにただひたすらに自分の好きな事をして生きる喜びを教えてくれたデービット・ブル氏の話は素晴らしかった!
いままで、第3巻の玄侑宗久氏の話が最高だと思っていたけど、今回の第5巻はそれに匹敵する話が3つもあった。
ここから先はかなり過激なため、心の狭い人は読まないで下さい。
富野監督の作品はどれも強い想いを込められていて、しかもそれを少しでも受け入れられやすいように苦悶しながら製作している。
最近はその想いを受け止められずに、「つまらん、痛い。」とほざく輩は多いけど、それは自分が薄っぺらいからだと反省して欲しい。 自分が薄っぺらいから、他人の文章や映像に込められた想いを理解できなくて、面白さを感じ取れないのだ・・・と、悲しく想って欲しい。
ただ、格好いいメカや可愛い女の子を見たさに、アニメやゲームを求めている人は、『自分がそんなモノで満足する情けない人間だ』と少しは反省して欲しいものです。
玩具メーカーの宣伝番組と割り切って、そういう想いが込められていない作品も多く、そう言うものに慣れてしまっているせいでもあるだろう。 だからこそ、ただ表面だけではなく、その奥に込められたモノを感じる努力だけはして欲しい。
派手なメカの戦闘や、意味のない女の子の笑顔が、いつまでも心に残りますか? 最後に残るのは、『人間の生き様』だけです。それが一番、カッコいいのですから。
森毅先生は、実は以前に何冊か本を読んだ事があります。 この人の言葉は、現代社会に苦しむ人々にとって、救いだと感じる。
僕らより少し上の連中は、なにかあるとすぐに「そんなことでへたばってるんじゃない!もっと頑張れ!」と簡単に言う。 そのセリフが、どれだけ相手を傷つけているかも知らずに。
以前からずっと思っていたが・・・どうも上にあがる連中は、なんだかんだで「出来る」人間なのだ。 だから、出来ない人間の事は理解できないし、理解しようともしない。
僕自身が、昔は勉強も運動も出来なくて(転校を繰り返していたせいで、学校では習ってない事も多かった)、苦しんだ記憶もあるから・・・出来ない子の気持ちはよく解る。 バイト時代、塾で教えているときも、やっぱり比較的『出来ない子』に慕われていた。
親や先生や上司が、「ほら、やれば出来るじゃないか。」と簡単に言うのを、俺はいつもムカついて聞く。
「どれだけ苦労したのか、お前わかっとんのか!?」と。
そもそも、そう言う苦しみを解っている人は、そんなデリカシーの無いセリフは吐かない。 同じような苦しみを知っている人は、せいぜい「お疲れ様でした。」としか言えないはずだ。 言葉で簡単にねぎらえるものではないから。
デリカシーがなく、煽る輩は今も昔も変わらずに多い。 自分と同じ価値観や能力を求める気持ちはわかるが・・・『それが全て』と決め付ける連中の言葉には反吐が出る。
『仲間イデオロギー』の押し付けはファシズムよりタチが悪い・・・とは、僕自身が毎日感じている。
人は皆、別の生物で、元気のある奴もいれば、そうでない者もいる。 そういう人たちがたくさん集まって、ようやく社会が回っているのだ。
いま、そう言う基本的なことも理解せずに、自分の気に入らない奴はすぐに排除しようとする傾向が強い。政治でも、会社でも。 それは『己の器量の無さ』と恥じて欲しい。
デービット・ブル氏は今回、初めて知ったが・・・こういう人がいるとは知らなかった。
誰よりも日本人らしいカナダ人・・・ 名誉欲も、金銭欲も無く、好きな事をして自分の生活できる程度に稼げれば、それでいい・・・と、言う、僕自身が以前より理想として持っていた事を体現している人がいるとは。
いま、貧富の差がますます激しくなっている。 それは・・・人間独特の『欲』が暴走している為だと思う。
動物と人間との違い・・・それは、『満腹になっても食べ物を食らい、いつまでも集める事に奔走する』こと。 『いつ、自分の生活が脅かされるか?』と不安で不安でしょうがなくて、ひたすら金を集め続けようとしている為だ。
その結果、集まるところにはいつまでも集まり続けるし、そうでない所には一向に回ってこない。
政府も企業も、そういう現状が自分たちに都合がいいので、いつまでも民衆の不安を煽りつづける。
「貴方の老後は大丈夫ですか?」「いまの生活に不安はありませんか?」・・・と。
本当に社会不安を根本からなくしたいなら、秋津コミュニティ(『絶薬』第4巻参照)みたいなのを作るのか一番だと思う。 そうしたら、精神をすり減らして生きることもなくなる。 かつては経済大国といわれた、この借金大国・日本は、もはや競争を煽るのではなく、共生を模索する時機がきているのだろう。
かつて、玄侑宗久氏は「『幸せ』と言うのはあくまできりのない物質的なモノあって、そういう目標に縛られていること自体、不幸だ。」と言われた。 その不幸から解き放たれた数少ない現代人・・・それがデービット・ブル氏であろう。 作者である山田玲司氏だけでなく・・・僕も今回は考えさせられた。 以前から感じていた疑問に、かなり本格化してしまった。
「いまの自分の生活は・・・何かが根本的におかしい」と。
夢を語るマンガを読むのもいいだろう。 娯楽に徹底したマンガに癒されるのもいいと思う。
けど、なにか真剣に考える心が少しでもあるなら、一度『絶薬』を読んでみて欲しい。
この作品は、多くの人たちの『叫び』が込められています。
現状に不満を感じない人達には、ただのエッセイだが、苦しみを感じながら生きる人たちには、特効薬にはなり得なくとも、『漢方薬』になることでしょう。
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