徒然草
うーむ、面白い文章を書きたいものです。

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2006/08/31(木) 八月三十一日
今日が植田の通う高校の始業式であった。
八月の末日から始まるという何かの皮肉のような始まり方である。
今日は登校日今日は登校日と暗示をかけてみても、しかし意味のないことである。
唯一の救いといえば、今日と明日通学すれば九月の二日には休めるということだろうか。
ところで、去年の始業式は発汗が止まらなくて大変な思いをした植田であるが、
今年はそういうこともなく、快適とは言い難くも、耐えられないような状態ではなかった。
夏場としては涼しい傾向のある天候だったからかも知れない。
まさかとは思うが、今年はあまり太らなかったとか、という希望的内容が
植田の頭をよぎるのだが、そういうことは鏡と体重計の目盛りをみて言ってもらいたいものだ。
始業式の後、大掃除や学年集会などが開かれて、そして午後からは試験だった。
これには植田を始め、多くの生徒が辟易したことだろうが、
試験監督の教師が実に生徒思いの良い先生で、延長コードを持って来て、
更に扇風機を使われていない会議室から拝借してきてくれて、接続した。
生徒一同感激である。特に、扇風機に一番近いと思われる植田の感激は人以上だ。
それから、前から画策していたとはいえ、半ば急に神戸へ遠征。
新発売の漫画やらを適当に買って帰宅。
いつも通りの日常に帰ってきたように植田は思うが、
この緊張感のなさには注意が必要かと思われる。

---
堅気に勝った気?
健全堅実が一番です。

2006/08/30(水) 八月三十日
今日は最後の最後の夏休みということで、植田は単に休憩。
のんびりと一日を過し、植田は明日への憂鬱をまぎらわす。
植田はまだ休み足りないというのだろうか?

---
カツレツで決裂
朝から食えるかああああ!

2006/08/29(火) 八月二十九日
残りが四十八時間もない夏休みに絶望を覚える。
考えてみれば、当初の意気込みは何処へやら、
植田の勉強時間など、まさに砂粒のようなものだ。
小さい小さい。あんなに頑張っていたのに、と自己絶望する。
夏休み最初の土曜日に教師と母と植田の三者で面談があり、
そこで随分と絞られて、相当悔しい思いをして、
悔しさをバネに少なくとも七月中は結構な時間を学習に費やしていた。
しかし、八月に入ってから、やる気の維持が非常に困難になり、
後はもうなし崩し的に勉強時間も内容も減少の一途を辿り、
そして復調の機会を窺っているうちに高校野球も終ってしまい、
いよいよ八月の週末が見えてきたと思っていたら、
もうあがいてもどうしようもないところまで植田は流されてきてしまった。
どうすることもできないのが時間というものである。
そういえばこの日記は時間に関する話題がよくでるように思わないだろうか。
きっとそれだけ後悔を植田は重ねているし、そしてそれだけありふれた悩みだ。

---
鉄壁の潔癖!
何者も寄せつけないいい!

2006/08/28(月) 八月二十八日
昨日の午後、随分とはしゃいだ為に体が疲労していたらしく、植田は昼前まで寝ていた。
そこへ唐突にメールが届いて、飛び起きる。「三十分後に集合して古本屋行こうぜ!」。
寝起きで頭がぼやぼやしているところに急な用事に飛びこまれたとあって、
植田の頭は混乱するばかりであったものの、とりあえず急いで準備。
なんやらかんやら適当に済ませて、バス停まで全力疾走。
夏休みで体力が低下していて、昨日子供相手に遊んだせいで筋肉痛で、
寝起きから殆ど時間が経過していないという全く最悪のコンディションであるものの、
植田は妙な義務感と、折角用意したのだから無駄にしたくないという損得感情に伴走される。
少し気温の低い日とは言えどもまだまだ夏なので、汗が噴き出して大変な状態に陥るが、
バスには間に合ったので、他の乗客に訝しげな顔をされても平気である。
もっと前のバス停から乗車していたらしい友人と合流し、目的地へ発進。
引かぬ汗に進むバス。対句のような状態であるが、本人としては単に不快なだけだ。
まあ、少々突飛な一日の始まり方であったが、それ以外は至って平穏。
買物して、違う友人の家へ寄って、帰宅して、漫画読んで一日も終る。

---
奇抜な体罰
やばいと思いますよ。

2006/08/27(日) 八月二十七日
今日も植田は法事へ。やけに仏教に縁のある八月である。
法事が無い今日、という可能性があったことを考えると
本当に先行きなど見えないものだと植田は思わなくもない。
近畿の、というか植田の聞くお経の宗派が特別なのかどうか定かではないが、
部分によってはやたらと軽快な歌うようなリズムで読み上げる箇所がある。
読経も終盤に差し掛かるというパートなので、ひょっとすると
参加者達が眠たくなってきたところで目を覚まさせる為の工夫なのかも知れない。
それが世俗的なのか人心を理解していることの顕現なのかはわからないが、
どちらにしろそういう工夫であるとするなら、目論みは当たっているだろう。
植田は子供の頃から何パターンか聞いてきたが、幼少の時分であればあるほどに
やけにリズミカルであり明るい感じのすることに退屈さをまぎらわせていた。
真偽の程は不明だが、きっと眠気対策だと植田は思っている。
そういえば高速道路でも、車が通過すると三三七拍子を打つ凹凸が付けられている道があるそうではないか。
何らかの特徴的な調子は、刺激として適切らしい。
その法事には結構沢山の人、三十人程度の人が参加していたのであるが、
中に、普段は滅多に合わない伯父がいた。どうせなら植田は彼の子、つまりいとこにも会いたかったが
色々な都合もあるし、残念ながら再会とはならなかった。
が、彼に会えたことも勿論植田は嬉しい。
彼の実家の近所の川に釣りへ連れて行ってくれるから、というのも理由の一つだ。
ルアーを使ったりする本格的なスポーツとしてのフィッシングではなく、
完全なるお楽しみとしての、細い竹の棒を竿に、釣り糸釣り針と浮き、そしてうどんを餌に行うような釣りである。
僕の夏休み、というゲームがあるが十二分に匹敵する牧歌的釣魚である。
法要も終り、食事も終え、参加者の殆ど全員が帰って、それから久しぶりの釣りである。
植田と伯父と植田の妹と、その伯父の子ではないいとこ等でそれぞれに釣り糸を垂れる。
同じ様な釣具、同じ餌、誤差はあるとはいえども同じ場所で行う釣りである。
伯父に妹にいとこ達が次々と魚を釣り上げていく中で、植田の釣り針に一匹の魚もかからないというのはどうしてだろうか。
釣具を交換し場所を変え、餌のつけ方まで教授されて、それでも植田の竿に手応えが無いのは何故だろう。
思い返してみると、これまでの釣り経験、ことごとくそうである。絶対的不調。
植田以外の全員で一尾また一尾と釣り上げて、十尾二十尾とバケツに入っていくというのに、
はたしてこの様な神の気まぐれ的摩訶不思議が起こることが道理に適っているのだろうか。
植田は問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。まあ、法事の日に神様に問い詰めるのも奇妙だ。
だがしかし、仏様はもっと平等な雰囲気が漂っているような気がしなくもない。どうでもいい。
それにしても、釣れない。毎度のことだが。魚だけに、つれない。
こうなってくると釣れないことが植田のアイデンティティに成る。
魚が釣れない、故に我である、という気分がしてくるのだ。
日も暮れかける時になって引き上げる。最終的に今年も植田は植田であり続けたわけだが、
当初こそ悔しかったものの、今となっては釣れなくてもそれはそれで楽しい。
まばゆい太陽の下、麦藁帽子を被り、首の周りにタオルを巻いて、足を水に浸す。充分なのだ。
それで一旦伯父の実家、つまりは植田の祖父母の家に戻って、今度はバーベキューである。
このバーベキューはセットを伯父が二年だか三年前に唐突に用意した。
折角殆どの親戚が集まって沢山の子供がその場に居たということで、ぽんと気前良く買って来たのだ。
こういう思い切りの良さと子供達への面倒見の良さには、植田はやはり親しさを覚える。
非常に厳格な一面も持ち、躾にとても厳しいので陰ながら恐れてもいるのだが。
前回から早くも二年か三年である。やっぱり中々会えないのだなあと植田は実感しつつ、
植田は炭火焼の肉だのおにぎりだのトウモロコシだのに舌鼓を打つ。
前回の時は火力やらなんやらの所為でやたらと炭っぽい食べ物になっていたが、
今回はどうやら伯父は腕をあげていて、沢山の大人も同時に居て手伝えた為に、非常に美味しい出来となっていた。
食べ過ぎたなあと思って植田が自宅へ帰って入浴の時に体を鏡に映してみたが、
腹部のあの立体感は文字で表現しきれぬものがある。

---
柚子は譲れん
魚は釣れん…。

2006/08/26(土) 八月二十六日
植田とその父とその母、つまり植田の祖母の今日の昼食はラーメンだった。
家でインスタントのものをすすっていたのではなく、わざわざ外に食べに行った。
行った先の店は、敷地に駐車場を作った所為で建物が奥行きに乏しく、それは許せるとして、
天井が低く、照明も光量が足りておらず、様々な物が置かれて雑然とした印象を与え、
何やらよくわからぬ虫が一匹飛んでいたのに店員が追いやる様子もなかったのだが、
ラーメンの味は美味で、量もありながら廉価であって、実に良かった。
実際、そのような環境の店舗ではあったが繁盛しており、
昼食時ということも手伝ってか、客足の途切れることはなかった。
丸。

---
2008年アテネ五輪!
合ってねー。

2006/08/25(金) 八月二十五日
書くべきことが見当たらない日、というのも多くある。
というか、植田には書くべきことのない日の方が多いやも知れぬ。
七月分の日記を埋め合わせていないことが何よりの証明になるのではないだろうか。
つまり、それら日々が変化に欠けていて、植田の記憶に残っていないことが
主な原因になっていると植田は考えているのであるが、しかし、それはどうだろう。
まあこの文章の整合性の欠き方に比べればまだましだろうか。論理破綻。
それはそれとして一考してみるが、はたして、波瀾に満ちて刺激に溢れた人生、
あるいは生活があったとして、それが記憶に残るのだろうか。
様々な出来事が次々に起こる日常における様々は其々に個性的であったとして、
それらを記憶することは出来得るのだろうか。甚だ疑問ではないだろうか。
毎日毎日何らかの大袈裟な変容があるとして、全ての一日に対して
その条件が適応されるというのならば、それが常態化するというのならば、
逆に個性は失われ、それを判別することも出来ず、やはり記憶も記録もできないのではないだろうか。
第一、それらの非常性を認識する間もなく日付が変わるのである。どうだろう?
或いはそういう日々においては人間は日記をつけなくなるものであろうか。
そしてこの一連の疑問も最終的には植田が標榜する毎日分更新の体裁を整える為だけに
即興で考え出された全く無意味な自己議論であるのである。
果たしてそもそも考える価値のあることであろうか。
いや、いやいやいや。
考える、ということは何であっても尊いのではないだろうか?
西洋の哲学者達もそうは考えていたのではなかったろうか。
ところで唐突であるが、今日の植田家の夕食はカツカレーであった。
植田家では永くなかったことである。というか、ややもすると初めてかもしれない。
休むことなく献立を立てなければならない母親と毎週末の買い出しを請け負う父親には
罪悪を感じるのであるが、植田はトンカツに既にマンネリを感じていた。
体は若いとはいえ、もうあの油の塊を見るだけで食欲も失せてしまう。
食べ出すと結局きちんと食べきるし、そういう程度のものではあるが、それでも飽きた。少しは。
しかし、トンカツは変った。カレールーを上からかけただけで、味が変幻する。
まさに味のコンタクトレンズだ。はは、意味不明。イメージチェンジというわけだ。一応解説だ。
別に植田はカツカレーを食べたこと無い位に無味乾燥な食生活を送っていたわけではないが、
しかし、久しぶりで且つ家で食べるという風味に新鮮味に感動した。
ふむ、記すべきことのない無個性な日というのは無いのかもしれない。
カツカレーが日記を救う。

---
煮付けを食べて寝付けない
カレイのネタです。日記のはカレー。

2006/08/24(木) 八月二十四日
植田がちょっとパソコンから疎遠になっていた。
理由なんてなかった。たまに家出したくなるのと同じ気分で、
好きなものでも遠ざけたくなったりすることもあるのだ。
家出など一度も植田は経験したことがないが。
夜道の暗さと、親不孝に伴う非道感が好きではないので大袈裟なことができないのだ。
なんというか、普段べったりな分、反動もあったりするだろう。
植田としてはそんな理屈などは無いのかもしれないが。
それで朝少し時間があったので、久しぶりに少し試した。
やっぱりそこに居る他者の意思を、一方的な親しみを覚える他者の意思を
懐かしく心地良く思う一方でなんとなく疎ましくもあった。
が、植田の中では時間的逼迫に起因するとして処理されている。
流石にバスが来るまでの暇潰しとしてネットというのは難しい。
別に四日キータッチしていなかったのがどうという問題ではないというのを
植田は理解しているのだが、なんとなく拘泥してみたい気分でもある。
四日の空白が気になるほど、画面に向かう時間が家族一長い人間なので、
家族がパソコンを使って、操作上困ったことがあれば自然と相談される。
ファイルの保存形式やコピーアンドペースト程の些細なことでさえ、
案外頼りにされたりする。植田の機嫌次第で乱暴に教えたり、
或いは饒舌過ぎるほどに丁寧に教えてみたりと、
人間的欠陥を存分に発揮した独占企業的気分屋風を吹き晒しているのだが、
今日は特にむずがることもなく、妹にファイル形式について教授を垂れて、
カチリ、ザッ、カチカチリとマウスを横から扱ってやると、
しきりに感嘆した様子の妹がまったくもって無邪気で無意識的な態度で
「ほほー、かっこいー」
とかって、若い子の血液みたいにサラっと言ってのけたので、
とかって、研磨された望遠鏡用硝子の様にあまりにツルリと言ってのけたので、
植田は仰天するけれども満更でもないので喜悦にちょっと表情を緩めた。

---
それで啖呵をきったんか?
あかんかったんか?

2006/08/23(水) 八月二十三日
二十二日に散々述べた植田の母であるが、今日は「珍しくパソコンしてへんやん」と言った。
植田はそう指摘されるまでもなく二日前からパソコンに触れていなかったのであって、
昨日のこととあいまって植田は気を悪くして、今日はすまいと心に誓う。
ただの意地っ張りなのだが。何というのか、植田の正直な今の感心は、
母親が植田をどう見ているのか、ということだ。どう見られているのであろうか。
知らぬが仏、知らぬが仏。

---
「いつまでも私の親なんだからね」
母のまま。

2006/08/22(火) 八月二十二日
日曜日だったか、部屋の本棚だけでは出版物の収納がおぼつかなくなってきたということを
食卓の話題として植田が提供した時におどけて、
「じゃあダイニングに置いちゃおっかな〜」などと言ったのであるが、
すかさず母親に「読んでる本の傾向がわかるな」と言われて、
「ほにゃらば漫画でも置くかな〜」なんて答えたのだが、植田の内心は緊張で狂いそうだった。
植田が高校一年生だった頃、風邪を患い臥せっていたことがあった。
母親が様子を見に来たのだが、その時に時雨沢恵一という作家の書いたアリソンという作品が
机の脇だかに仰向けの状態で置いてあって、それが所謂アニメ調のイラストをあしらったものだったのを目に留め、
「あんんたの読むもんはわからん」と言ってのけたことがあった。植田的にそのことは忘れらない出来事である。
確かにそれは高校生の読む書物としては一般的ではないかも知れない、でもね、でもねと、
寝転びながら植田の心の内では反論の潮流が渦を巻いていた。何も言えはしなかったが。
そのようなことがあってから早くも二年弱。未だに母がそのようなことを覚えているかどうか誰にもわからないが、
植田は恐れていた。何か良くない印象を抱かれていないだろうかということを。子は親の愛情が必要だ。
何せこのサイトの読書録を読めば一目瞭然だが、そういう本もまた植田は多く読んでいるのである。
漫画を置くという対案を出してしまった時点で小説に対して思うところがあることが露見する可能性が
高まるわけで、植田の精神は堂々巡りの思考停止状態に陥る。後悔の感嘆詞しか出てこない。
更に少し経って小説を置くより漫画を置く方が墓穴を掘ることに気付いて植田の顔は引きつった。
そんな経験も新しい今日は火曜日である。インターネットを利用して申し込み、
CDやDVDを借りられるというサービスの話を今日偶々またも遊びに行った能見と植田はしたのだが、
何かの偶然が起きて、食卓でその話が灯った。今日得たばかりの知識を使ってその素晴らしさをアピールして、
受験勉強の際のお供に音楽を利用出来ないものかと思い「絶対安いって。凄い得やん。借り放題やで」云々。
ただでさえ打ち込み難い勉強である。植田は音楽利用程度は保証されてしかるべきと思って色々言ってみたのだが
そこで母親にこう言われるのだ。「…で、何聞くの」。植田は何も言えない。
植田の精神はこう考えている。曰く「え、なんでそんなん尋ねんの。別に何聞いてもええがな。
クラシックだの映画音楽だの、日本のポップ、外国のロック。選り取りみどりやん。
あ、それともあれか、以前ちょっと大きめの音量でかけてて母親が外から帰っても気付かなくて
薄いドアを通して恐らくは垂れ流し状態になっていたピーーーーーーーーのことを指しているのか?
やっぱり聞いちゃってた?確かにピヨピヨピヨピヨなんかは聞かれたらまず過ぎる。
得にあの時はかかってたのがムニャムニャムニャだったりした気がするし、あれはまずい。
ってか、正直借り様としてるのはそのピーーーーーーーーだったりするんだけどね。あばば」。
やはり色々思うところのある植田は何も言えない。植田のみに気まずい沈黙。
家庭内においてこそ、植田は気を引き締めなければならない。
ラノベの支持層はまだまだ狭く薄く低い。

---
お洒落に酒を飲む婆さん。
BARで飲む。

2006/08/21(月) 八月二十一日
植田も例に漏れず高校野球をテレビで観戦した。
日曜日のあの息詰まる投手戦の末に今日に持ち越された、
駒澤大学附属苫小牧高校と早稲田実業学校高等部の試合。
昨日植田は思った。どちらも勝てなくて良い、と。
あんな緊張感の漂う試合をしたのであるからして、
選手の消耗も並大抵ではあるまいし、
何より優劣をつけるということが実に惜しいと思った。
が、大会規定により再試合ということで、
引き分ければ良いとずっと植田は考えながらみていたのだが、
そういうわけにもいかず、早稲田実業が勝利した。
何となく早稲田実業が勝利するという雰囲気が三点取った時点であったが、
それに気がついてから、苫小牧の勝ちを願っていたことに植田は気付く。
飲酒喫煙等の行為があって、報道されて、ずっと辞退すればいいのにと
思っていたにも関らず、である。人の心は摩訶不思議。二律背反矛盾点。

---
転校初日。晴れ。
天候。

2006/08/20(日) 八月二十日
植田が目を覚ますと、夜の帳と共に降ろされていた頭痛が日の出と一緒に引いている。
寝付けたということは夜の時点で痛みは退いていたということなのだろうが、
その自覚はなかったので、一日の始まりと同じくして体調も再構築された気がし、
少々寝過ごしたが、植田には気持ちの良い朝だった。
昨夜は、頭痛の退いた時に代わって弱い腹痛が植田を襲い、
本当にロクでもない体調だったので、正常な状態へ回復したことを植田は喜んだ。
だが、昨夜の気分を引き摺っていることも確かなので、あまり優れない。
なんとなく鬱々とした気持ちであった。
というわけで、一日横になって本を読み、MDに耳を傾ける。
まさに療養という感じだが、やはり精神には効く。
随分と楽になったので、外食にも随行できた。
ざるそばとカツ丼が美味しかったそうだ。

---
「これらのコレラ菌が…」
疫病は嫌ですね。

2006/08/19(土) 八月十九日
頭痛。
植田にとっては非常に珍しい事態。
左目の奥、前頭部に痛み。
おかげで少し戸惑う。
九時に自室に戻って横になる。
頭が痛むので寝るに寝れず、本など読む。
本を読むと頭痛が軽減される。
そこで照明を消して目を瞑る。
寝られないので音楽をつける。
過ぎ去りし古き良き時代のアメリカン・ミュージック。
が、結局頭痛は再発し、読書へ戻る。
文字を目が追っているうちに痛みは忘れられる。
なので寝ようとするが上手くいかず。
結局日が変るまで苦労して、気がつかないうちに植田は寝た。

---
淡き泡
何やら美しい…。

2006/08/18(金) 八月十八日
今年の五月から更新されていなかった読書録をようやく植田は執筆、更新。
しかし、五月から何もしていなかったという事実に少し衝撃を受けた様だ。
確かにそれは課題を先延ばしに先延ばしにしているということを表し、
実生活を省みるにやはりそういうことを幾つも抱えているのであって、
それが趣味の領域においてさえも人間性がでるとなればやはりいい気はしないであろう。
なんということを考えるのも植田は億劫だったので、昨日買った漫画の付録のDVDを観ていると、
突然電話が鳴る。
やたらとテンションの高い友人で、植田のテンションも自然に上がる。
大きな声で大笑いしながらずっと話した。漫画やら小説のこと。夏休みの生活のこと。
お互いに充分堕落した生活を送っていたようで、両者は笑って過去を水に流す。
あまりの盛り上がりに途中から植田は電話に接している耳や頬に汗をかくわ、どころか肩のあたりも発汗する。
どういう仕組かは誰しもわかりはしないのだが、まあ長らく喋っていない者を相手にして
植田もちょっと興奮したんじゃないだろうか。
積もる話しもある、という表現が適応するのだろうか、通話を終えて液晶を見ると半時間が経過していた。
それは充分に楽しかったのだが、思いがけない時間の経過に植田は驚いた。
「三十分。ふーむ」
そこで植田の思考は冒頭へ戻る。
色々先延ばしにしていたこと。
そして電話を通じて自らの生活に反省点を見出す。
そういうわけで、黙々と部屋を整理したりしていた。
引っ越してから、荷物の整理を長らく放置していたからである。
今するべきはやはり勉強なのであろうが、どうしても今やっておきたかった。
別な問題を先送りしているだけということに気が付くのはもっと後のこと、
例えばこの日記が書かれている時間帯なのであって、
ゴミ袋片手に不要なものの片付けをしている時はまさしくそれが必要なことに思われていたのだろう。
人間とは実に愚かな生き物である。
だが、過去の自分が溜めたガラクタですらないゴミを選別して捨てていると
哀しくなるのだから、まだまだ腐ってはいないのではないのだろうか。
適当なオチだ。植田にはもう何も考えられなかった。

---
「何この木綿の山」
コットンに凝っとん?

2006/08/17(木) 八月十七日
植田は十六日に述べた様に、能見宅にて冷房を浴びながら雑談に時間を費やしていたわけであるが、
実はその時に、「このまま古本屋行こう」という話題が出た。
出たことは出たのであるが、屋外は風吹けど暑く、更に時間的制約も厳しかったことから断念した。
がまあ、二人揃えば若人の元気というやつで、「じゃあ明日行こか」ということですんなり決着した。
ということで、朝も早くの九時半集合である。夏休み前半なら普通に起きられたが、
お盆の前後から急激に休閑モードに入っている植田には正直辛い時間である。
気を利かせて能見から九時過ぎに植田の携帯に電話が入った。
普通の声色でハキハキと応対したのだが、実は植田は起き抜けで、かなり眠かった。
植田が通常時と同じ声で返事をするので、早起きをしたしっかりさんだと能見は思ったようだが、
実は寝惚けている時に唐突に鳴った着信音で自分が寝過ごしているかと思って焦り、
コンマ一秒のうちに脳が活動時と同等に働ける機能を取り戻しただけなのだ。
空気に反応して燃える物質の入った缶に銃弾を撃ち込んだような瞬間的な単なる反射である。
が、まあ植田はその電話のおかげで出掛けるまでに充分に時間がとれた。
おおっと、ここを能見が見れることも昨日書いたが、能見はこの文章を読めるのだ。
あまり下手なことを書いて植田の信頼を落すのは止めておこうか…。

---
「まずは講堂へ行こう、どう?
苦しい…。

2006/08/16(水) 八月十六日
昨日の植田家の夕食は中華丼と餃子であった。
その二品だけだったとはいえ、中々に分量があり、家人は相当量を食べられた。
しかし、餃子というのは油と刺激の強そうな野菜の集合体であって、
これが結構食べた量によっては食べた者の胃を刺激しなくはない。
日本風にアレンジされた中華料理というのは実に若人向けであり、
育ち盛り食べ盛りである植田はまさにこれらの虜となって旺盛な食欲を以ってして食べたのだが、
大方の予想通り食傷気味となった。
食後直ぐの時はいっかな平気であったのだが、時間を下るにつれ、どんどんしんどくなっていき、
最終的に胃から食道まで、焼けつきむかつくばかりであった。
最終手段として、ナタデココ入りのヨーグルトを食べて、乳酸菌乳酸菌乳酸菌と頭の中で
幾度となく唱えたのだが気休め程度にしかならず、しかしそれでも
何らかの薬品に頼る気もさらさら起きず、結果的にずっと植田は気持ちが悪かった。
植田はその非常なる気分の悪さに一晩中苦しめられることになる。
まさに日が昇るその時までMDプレイヤから流れてくる音に耳を傾け、
照明を落して視覚情報を可能な限り遮断し脳への負担を避けつつ、延々寝返りを打ち続けることとなるのだ。
眠りについたのが仕事の都合上朝の早い父親が起床する頃合になってからである。
それまで散々苦しんだ挙句に唐突な眠りに落ち夢を見た。
現在の植田の担任教師と、中学の時のクラブ顧問が出てきて、
バスケだかバレーだかを見たことのある先輩や後輩や同輩とクラブ活動として行い、
体育館の使用を巡って他クラブと衝突し、面倒くさくなってきた時に唐突に悟る。
目を開ければいいんだよ、そういう別な自分からの幻聴が聞こえてきて、
その通りに夢の中では活動状態にあるにも関らず、目を開けた。今の部分は要傍点だ。
最後の最後に置かれていた状況を夢見と認識して現実へ寄港したわけであるが、
植田には少々まだ腹が膨れているような気もする。
が、そんなことはおかまいなく、起床後一時間も経たぬうちに昼食である。
植田としては食べ盛りの我が子を思って一人多めに盛ってくれるのはありがたいが、母さんすいません、という心境である。
が、まあ文句を言うわけにもいかず、そして食べ残すわけにもいかず、
兎に角箸をつけたところで、植田の数少なき友人の一人である能見から電話がかかってくる。
能見はしょっちゅう暇を持て余している友人で、まあ勉学への情熱は人よりも冷めているところがある人間である。
がしかし、能見もまたこの日記を見ているので詳しく言及することは避けておこう。
まあ予想通り植田は能見の家に赴くことと相成った。
それでも、きちんと昼食を完食したことは付記しておこう。
さてそんな身重の状態と表現して過言ではない状態で友人宅へ赴いて、
まあ何をするでもなし、冷房を浴びたり氷菓子をご馳走になったり、
それはもう駄弁の限りを尽くして、時間という時間を幸福な退屈さと一緒に消費した。
結果的に、という条件がつき、しかも望ましくないものだったとは言えども夜更かしをし、
更に大胆なる朝寝坊をし、そして友人宅へお伺いして、という植田にとって今夏一番夏休みらしい日だったのではないだろうか。

---
招待された男の正体
いかにもミステリィチックな感じ。

2006/08/15(火) 八月十五日
今日という日付について社会的にはどうあれ、今日とて連綿たる生の断片として人は暮らす。
さて、この記録で述べられている植田は、読書録でわざわざ西尾維新の著作について
月別ではなく作者の作品としてスペースを取り、分けて書く程ファンであり、
出来るだけ彼の著書については出版されてから早くに買い求めそして読むように心掛けていて、
そんな植田の最大の感心事は、発売時期が延期に延期を重ねられている、
『〈ざれごと戯言シリーズ〉限定コンプリートBOX』というおまけつき収納箱の予約開始日なのであった。
確か去年からずっといつ発売するかというのが不明瞭なまま、とうとう今年にもつれこんだ上に、
なんといつのまにか今年も六割近くが終了した時点で、植田はこの電子の情報網から隔離された。
しかしそれでも世の中は回るもので、登校と下校を繰り返して、夏休みに入って尚それを続けて、
それでから更に、高校野球を見て、二回もお経を聞いて、何冊かの本と、
二十冊近くの漫画を読んだりしていれば、まあ日にちというのは簡単に過ぎるものである。
日々の移ろいが早いことを芭蕉は矢に喩えて、光陰矢のごとしなどという名言を残している。
そして、そのうちに新しいモデムが家に届いて、おじさんがきてセットアップし、
晴れて植田はこの情報が次々に補填される懐かしき世界へ帰ってきたのである。
それから数日が経った今日、何の前触れもなく唐突に冒頭で述べた『〈ざれごと戯言シリーズ〉限定コンプリートBOX』
のことを思いだし、植田は検索をかけた。世界の知を集結せしめんとする米国系最先端企業のグーグルが提供する
ロボット型ディレクトリ式検索サービスを有線でつかえば、なんと0.09秒で検索が完了するのだ。
おお、まさしく現代の叡智の結晶ではないか。端末のコンデンサが焼けていようと三秒あれば表示に漕ぎつけられる。
なんと素晴らしいのであろう。久しぶりに操作するとあれば、その感慨も増すというものではないだろうか。
もっとも、それがもたらすものが果報ばかりと考えるのは早計に過ぎるというものであろうが…。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE+%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%80%80%E4%BA%88%E7%B4%84&lr=

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「唖然?あー全然そんなことないですね」
私はそんなことありました。

2006/08/14(月) 八月十四日
本日は植田宅にお坊さんが訪れ経を上げた。
去年も訪れたのであるが、彼は非常に素敵な顔のつくりをしている。
俗に言う、イケメンである。率直に申し上げて、仏教系ほのぼの漫画を描く時は是非参考にして欲しい。
そしてよく通るバリトンの声だ。実にハスキーであった。
仏壇のある八畳の和室では声量が大き過ぎるように感じられるほど豊かな声の響きであった。
経を読んでいる時は、植田は、というか植田家は彼の背中しか見られないし、
経を読んでいる最中に拝むべきは彼の顔ではなく先祖の霊であるからして、
植田は彼を見ていられなかったのだが、だが、まあ檀家で良かったなと少し思ったとか思ってないとか。
それから植田一家は墓参りに行った。
子供っぽいという自覚はあるのだが、植田は柄杓で墓石に水をかけるのが好きである。
単純に水掛け遊びという視点で見ているわけではないだろうが、おかしな好みのような気もする。
それが御影石に被った暑さや砂埃と共に体の穢れも落ちる気がするというのなら立派なものであるのだが。
さて、墓地の近くに贔屓にしているうどんのお店がある。チェーン店らしいのだが他の店を植田は見たことがない。
それに店員も多分いつ行っても変っている様子がないので、ずっと個人経営の店だと思っている。
麺にコシがあり、うどんの出汁もさっぱりとして美味しい。非常に好意的に評価できる店である。
その後、自家用車の後部座席で植田とその妹が古本屋古本屋と呟いていたのを
植田の父は聞いていたらしく、子を思って車は古本屋の駐車場に止まった。
感無量的に植田は店舗に飛び込んだ。冷房を体いっぱいに浴びて一息ついてざっと店内を見渡すと、
滅茶苦茶に空いていた。よく東京などはこの季節、逆に人口が減るというようなことを
各種媒体を通じて見聞していたとはいえ、このような辺境の地であろうとも
新興の住宅地くらいしかないとなると、皆が皆里帰りをするものなのかと変な感心をした。
普段の何でも無い平日の方が混み合っているくらいなのだから、やはり人口は激しく流動しているのであろう。

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名前に関する意見表明
氏姓への姿勢

2006/08/13(日) 八月十三日
そろそろ全国各地で会社員も休暇の時期になって所謂お盆休みとなった様子である。
例えばそれは窓の外、上空を行くヘリコプタからもわかる。
植田の家からそう遠くないところに高速道路が一本架かっており、
渋滞の具合を見る為にしょっちゅうマスコミのヘリコプタが飛んでいるのだが、
やはり行楽シーズンとなれば、その数も増えているようだ。
正月はそうでもないにしろ、ゴールデンウィークなども増える気がする。
しかし、休日も分散するし、そもそも休日が無い職業人達も数多く居る中で、
たかだか三十キロメータ程の大量の航空燃料を消費して上空から遊覧してどうするつもりなのだろうか。
が、まあテレビは画面を映像で埋める必要があるわけで、重大な事件がなければ
行楽地の様子でも放送するしかないのであるからして、仕方のないことなのだろう。
勿体無いことには変わりがないが。
さて、植田の生活であるが、やはりトップページで記した通り、お盆休み中である。
お盆準備期間からずっと休暇を取っていたので、盗人猛々しいといった呈であるが、まあ本人に任せるしかない。
そんな怠惰な植田ではあるが、一応体面を保つというか、己の自律の為に、勉強時以外は
部屋の空調を使用しないという取り決めを脳内で取り交わしてある。
おかげでまあ、室内環境は夏らしく実に不快な感じになるのだが、夏場としては至って当然なので、
特に植田は気にしていない。気にして学習に時間を割いて欲しいものである。まったく。
そうはいうものの、流石に扇風機を使用するのだが、居間でパソコンをする時に、
あえて羽を回さなかった。じっとしているだけでシャツに汗がにじんで暑苦しそうだが、
なんというか、こういうのも一種の風流である。しかも体に毒素でも溜まっていたのか、
一種の冷房病にでも罹っていたのか、新陳代謝の作用で余分なものが流出する心地がしたらしく、ご機嫌である。
中々に鍛え直し甲斐のある根性をしているようだ。

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氷の上の表情。
氷上の表情。

2006/08/12(土) 黒いモデム
えーっと、復帰しました。
通信会社のおじさんに、
「このパソコンだとADSLが死ぬなあ」
と言われました。べ、別にショックじゃないんだから!
その辺りは薄々気がついていましたし。
曰く、「コンデンサが焼けてるんちゃう?」だそうです。
燃え盛るのは私のハートだけで充分よ!
「初期化するだけでもだいぶ違うと思うけど」
みたいなことも言われました。
まあ別にしてもいいけど、ソフトの情報も原点回帰ですか?
だと、今時IE5.5かよっ、みたいな状況なんですが。
ウィンドウズメディアプレイヤやらリアルプレイヤも三世代前へ。
つーわけでしませんよ、と。
というか、かなり気さくなおじさんで、
私が前モデムの生きていた頃のインターネットから
仕入れた知識レベルに合わせて色々お喋りしましたよ。
「ウィンドウズの次のビスタって大丈夫なんですかね」とか。
予定より二時間くらい遅れてきたのは気にしないっ!
とまあ、やたらめったらテンションだけは高いんですが、
さっきまではもっと高かったです。
そりゃあ一ヶ月ぶりのインターネットですよ。
常時接続高速大容量通信ですよ興奮せずに何をする!
ええまあ、でも自分のサイトみて凹みました。
何故って、読書録と七月の日記をどうするか考えてないので…。
とはいえ、八月の日記だけは書いてあるので順次アップ。
誰が読んでるんだここ、というサイトですが、
それでもカウンタは遂に六千三百ですよ。うわあ、凄い。
二年目ですけどね。年間三千…。
そうは言うものの、嬉しいですよ。
さて、七月の終わりはそれなりに勉強してて、
まあ八月に入ってどんどんしなくなって、
それじゃあいけないと思って、再びやる気を取り戻したかにみえたら、
これかよ!
A・D・S・L !!!!
A-「明日から」じゃ
D-駄目!
S-そうは言うけどさ…
L-
L-
L-
………………
ということでLに関してはどうぞ行間をお読み下さい。
ああ、デスノート十三巻は限定版を買いそうです。お金足りないけど。
因みに今、午後五時五十分です。
ネット楽しい。うひゃー。

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暖かい今日、快挙。
かいきょが駄洒落てます。

2006/08/11(金) 八月十一日
植田は若干心を入れ換えた。
だから、リハビリのつもりで、少しは机に向かった。
十日の日記を読めば、そしてそれが自分のことであるとなれば、流石の植田であっても反省する。
植田は今をときめく現役大学受験生なのだ。予備校に通うわけでなく、塾へ行くでもなく、
学校の補習と自主学習でなんとか乗り切ろうという強がりを見せているにも関らず、
決心が細い枯れ枝のように脆く弱くてどうするつもりなのだろう。
過去の日記、特に今年に入ってからの日記を読めば、幾度となく反省している植田の姿が垣間見れる。
書いてある部分が全てではないだろうから、もっと自省を繰り返しているのであろうことは想像に難くない。
が、である。反省に当てている時間も含めて勉強から逃げているのではないだろうか。
ああ自分は駄目な奴だ、終ってる、卑劣で下劣で低劣だ…という、植田のその陳腐な使いまわされた言葉による、
上辺だけの、と言って過言ではないこの繰言空言虚言妄言の陰には、
一秒でもサボってやりたいという、実に飽きれる腐った根性が蔓延っているのではないだろうか。
その考えに至って植田はハッとする。
そうである。そんなのは、全くの非建設性ではないか。
昨日出来なかったなら、一週間使ってでも取り戻せば良いのだ。
これまでが馬鹿だったなら、これから努力すれば良いのだ。
どうせ、二十歳までは脳は活発にはたらく。教科書レベルならどうにかなって然りではないか。
それなのに自分ときたら、嗚呼…である。
それを反省しなければならなかったので、今日はリハビリ程度だったんじゃないでしょうか。

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カーテンこうてん
あっそ。

2006/08/10(木) 八月十日
昨日散々綴られた、植田のNINTENDO DSへの愛であるが、
しかし、植田の妹は部活動で忙しくしているので、日中はお預けの状態である。
彼女が不在の時間帯に貸せば良いのであるが、しかし自分が進んでいないステージを
先に兄弟に越されてしまうのはあまりに癪らしく、どこかへ仕舞ってしまって植田は出来ない。
勿論、植田にもその気持ちは充分に理解できることであるので、別に不満ということはないことになっている。
さてまあ、つまり最大の娯楽を取り上げられてしまったので、植田は何となく手持ち無沙汰である。
DSの代わりに参考書や鉛筆を手に取ればこれは非常に評価できることなのだが、
お盆だしなあと、百時間ほど気の早い理論を持ち出してそれらを放り出している。
さて、代わりに手に取りたるは漫画である。観音開きになっているのがDSの様で愛らしいではないか。
大きさも近からずとも遠からずと、手にしっくりくる。
目くるめく幻想の世界に浸っていれば三度の飯と入浴排泄以外、現実生活に何ら価値はないのではないだろうか。
何度か読んだものを再読しているだけなのだが、それでもまだ飽きることはない。
いや、むしろ読み返せば返した分だけ、細かく描きこまれた科白等に気付けて楽しめる。
世界で一番成熟した市場に出回って結構なシェアを誇っている作品である。
さあさて、どうして面白くない理由があろうか。
が、まあ、無論、単なる逃避に過ぎないことは本人が一番わかっていると思います。

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羽越本線沿線に住む優越感
ゆう、うえつ、です。

2006/08/09(水) 八月九日
先日、前期補習が終り、ひとまず生活に自由度が増してから、植田の勉強に対するやる気というのも、
厚生労働省の出した悲観的人口推移予測の如く、時間の経過と共に、如実に減少傾向にある。
それというのも、植田は八月上旬中に通学定期券の期限が切れないうちに新古書店を回って、
漫画本や小説の本を沢山購入したからである。植田は妙なところで貧乏性で積極的だ。
それに、友人達も勉強を除けば…と言っておこう、することも無く暇なのか、
割と立て続けに誘いが入ったし、法事にも参加してきたというわけで、
これはもう、植田に言わせるなら「物理法則」とも言うべき当然の事態なのであるが、
それは言い訳に過ぎず、真相というのは身近なところに転がっているものである。
例えばそう…今、居間の背が低い机の上に乗っている、水色の工業製品。
折畳式のなんともポップで現代的な製品である。
さあ、それはリモコン?それは携帯?それは電子辞書?
否、否、否。否である。
その名も、NINTENDO DS!
そう、あの説明不要な国際的人気商品、DS Liteなのである。
京都老舗の人形屋より絶賛発売中のタッチペン付属の携帯ゲーム機である。
これを植田の妹が苦労して手に入れたのであるが、やはり人気なだけあって、実に面白い。
彼女が買ったのは国民的認知度を誇るヒゲおやじが跳躍と火炎で敵を薙ぎ倒していく平面直行型ゲームなのだが、
そもそも液晶画面が綺麗なのである。携帯電話を除けば植田宅で液晶化された商品などまずない。
そこからくる目新しさも手伝って…等と書くだけで虚しくなってくるのではあるが、
見事に嵌ってしまった。妹の所有なので、主導権は当然彼女が握っているのだが、
画面を覗き込んでいるだけで楽しめる。植田史上それは、友達がマジアカと呼ばれる
アーケードゲームをしていたのを観戦した時以来である。
かように、植田がさせてもらったり、妹のプレイを見ている時間とを合わせると、
中々結構な時間が経ってしまうのだ。一日、また一日と、すぐに過ぎてしまう。
はてさて、受験勉強は既に二面三面といった局面に入っているのであろうが、
中ボスがいつだって自分だというのは皮肉ではないか。クッパの如し、である。

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スイスで水泳すーいすい
……。

2006/08/08(火) 八月八日
三つの台風が南洋で発生。日本近海に迫り出して来たということも影響したのか、
風がよく吹き、少しだけ雲も出て日光を遮って若干なりとも涼しい一日であった。
不思議なことに低気圧だというのに湿気も少なく、空調に頼らずとも過し易い。
しかし、天気図を見てみるとひょっとすると近畿一円に高気圧が張り出していたのかも知れない。
結局は検証していないのでそのようなことを語っても無駄かもしれないが。
が、そのおかげで今日の夕方、植田は非常に良いものが見れた。
詩作しそうになったほどである。
それは、空。
最初は青く、藍になり、橙となり、黄、緋、茶を経て、薄墨から漆黒へ…。
数分ごとに表情を変える幻想的な色の見本市。
まさしくそれは光の景。
そしてそこに非常にひっそりと存在感を主張している染まりきらない雲居。
人を飽きさせぬ不規則性。

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愛知で旅は終り
尾張、です。ベタ。

2006/08/07(月) 八月七日
朝九時頃の起床で充分に朝寝坊した気分に浸れるというのは、
学生にあるまじきことなのではないだろうか。
今は長い夏休みの一日なのである。昼まで寝ていても誰も責めはしまい。
もっとも、生活のリズムが整っていることは、
半年先の入試にも役に立つという話を既に大学の入試を受けた様々な人が言うので、
いたずらに不規則な生活を送るのは良くないだろうが。
しかしまあ、こういう些細な幸せ、贅沢感が誰の心にも潤いをもたらしてくれるには違いない。
きちんと朝食を食べ、歯を磨いて洗顔する。これだけの基礎的事項であっても、
意外と学生は面倒がってつい怠けたりするものである。
いや、一概に概しては良くない。植田がそうだからといって、平均値に設定するのは良くない。
だがまあ、今日はそれらの手順を飛ばさずにきちんと踏み、
なんとなく自律した雰囲気を楽しみつつ、勉強に励むのであった。脳内で。
いやいやおいおい、まったく、確かに朝の情報番組は適度な下世話さが面白いとはいえ…。
せめてテレビから離れようと思い自室へ戻ったところで植田には効果が無い。本も漫画もそこにある。
さて、突然問題点を挙げよう。
そういう怠惰な生活を送っていると、どうしても身体には余計な脂肪が蓄積されてしまう、ということだ。
特に植田のような出不精で、必要がなければ絶対に外出しないタイプの人間なら尚更である。
昨日、植田は前述の通り法事に参加してきたわけだがそこで伯父に、会うなり
「お、ちょっと肥えたんちゃうか」
と、にこやかで眩しい爽やかな笑顔で言われている。言われずとも全身がイエローカードである。
だが、堕落は麻薬なのだ。阿片の如く体も心も蝕む。
なんとか対抗しなければ、と植田は思うのだが、甘いものは美味しい。
甘味は極北私は磁石。そういうことである。
それに加え、成長期ということも手伝って、甘くないものも実に美味なのだ。
何をどれだけ食べても、心の底から味覚が喜びに打ち震えるのである。
頬どころか、脳が溶けている。
もう何も考えられない。
無策、である。
策士の溺れる策も無い。

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隠した石油の位置ばれる
バレル、が石油に掛かっいるのです。

2006/08/06(日) 八月六日
盂蘭盆会というのはなんとも日本語らしからぬ響きの言葉であるが、
それは元々が日本語ではないのだから仕方がないのであろう。
なんとなく外来の文化が根付いてしまったらしい。
今ではお盆として、日本の民俗的に先祖供養を兼ねた一種の休養期間化している。
その時期には一斉に各地の寺に申し込みが殺到し、お坊さんも非常に多忙になるそうだ。
そんなわけで、田舎なので人口は減衰傾向にあるのに、住民が信仰に篤いらしく、
最早日付を指定して経を上げてもらうわけにはいかなくなった、
という非常に止むに止まれぬ理由があって、植田は母と妹で法事に参加してきた。
時期的に中途半端であったのでいくら日曜日とはいえ、殆ど親戚は集まれなかった。
が、まあそれでもいとこ達とも春以来の再開を果たした。
一時間ほど手を合わせた後、少しのほほんとして食事を取っていても、
小学生低学年の男児というのは元気の固まりらしく、シャンプーのテレビ広告の如く、
汗を流して屋外で遊びたそうにしている。この時に歴然と年の差を感じて植田は
彼と遊ぶ気をなくしてしまった。植田の祖父母らの住む家は、真偽はともかくとして
築百年を数える純和風的な建築であって、風は通り易いし、
日が射して欧風明るいリビングとはならない代わりに、高温多湿な風土に実に適しており、
夏は外に出るもんじゃないと家が語りかけているような錯覚を植田に覚えさすほどだ。
それでも扇風機がないと少し辛いのであって、遮蔽物もなくて帽子や日傘ですら
椎茸ほどに役に立たない環境で、誰がキャッチボールをしたくなるのであろうか。
なので、ここは祖母と近況を話したりしつつ、興味のない高校野球を観戦するのが王道である。
そう主張して憚らない植田の慳貪な態度はやはり快いものではあるまい。
いとこの男の子は純粋に不機嫌な態度であった。構ってあげたいのはやまやまではあるのだが、という弁明。
お絵描きでも好きになってくれると助かるのだけどな、と植田はずっと思っていたらしい。
自分勝手に彼の一日も早い成長を願っているとかいないとか。早く大人しくなってくれと。

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「医者というのは実に孤独た」
「そんなことありません、私達がついていますから。ね、先生」的。

2006/08/05(土) 八月五日
太陽が穏やかな父性を忘れて狂気を感じさせる核融合の光を無闇に放射し、
光の早さで八分もかかる惑星の東経百三十度前後の大地と大気を容赦なく焦がす時間帯。
トゥルルルルルルルと一台の電話の着信音が鳴る。
植田は主人の帰宅を察した甘えん坊の犬の如く素早く反応し、
ワンコールで受話器を上げ、耳と口に当てる。犬だからワン、では断じてない。
「あ、もしもし、植田さんのお宅ですか。能見と申しますが…」
知った声である。名乗られるまでもないことだ。電話越しとは言え、友人の声色である。
「ああ能見。何、久しぶり」
そうは言うもののほんの五日ほど前に二人は会っている。
日付の感覚を失念している為に五日前ですら随分と前のことのように植田には思われた。
そういうことも、能見が突っ込んだからこそ気付いた。
植田は日頃、在宅している際に携帯電話を持ち運ばない。
よってメールや電話への反応が遅くなってしまうことが頻繁にあるのであるが、
しかし、即座に返事が欲しい場合意外はそうやって返事が遅れても特に問題はない。
が、こうやって自宅へ直接電話してくるということは、能見は即時性のある事柄を話したがっている。
それくらいのことは植田にも推察できた。というか、今から遊びたいんだろうなと思った。
伊達に二人の友情は世紀を跨いではいない。
勿論予想通りである。能見は先ず何人かに声をかけたのだが、季節は夏である。
各人それなりに多忙なのだ。結局誰も捕まらずに最終的な妥協の産物として、
能見の指は植田宅の番号を呼び出すこととなる。なんともネガティブな書き方ではあるが。
まあキャンペーンを張っているのだ、ということで勘弁して欲しい。ヒントは角川書店だ。
しかし、このような別に書く必要のない描写は単なる理由解説に過ぎず、
本当に表現したいと植田が考えているのは、摂氏三十五度を超えた自室のことと、
それよりも尚暑い黒い路上を徒歩で能見の家へ向かう苦労である。
普段は引き篭もりがちな植田であるから、というか受験生として外出が多いというのは
学校や塾の夏季教室を除いて、基本的にあってはならないはずであるのだが、
どっちにしろこのお誘いには中々嬉々として喜びはしたのである。
部屋着から少なくとも外へ出られる服装に自身を着せ替えて、
タオルなり団扇なりを手に持って屋外へ出るのである。
ここで本文は冒頭部へ回帰する。
貴兄らは恐らく小学校で習っているのだが、もっとも気温が上昇するのは、
正午を過ぎて幾らか経った頃、午後二時ごろなのである。まさしく、である。
あまりにも容赦のない熱光線。まだしも暴君ネロの方が人間らしい優しさがあっただろう。
当然である。自然には自然としての考え方がある。人類とは違う思考体系があろうというものだ。
関係ない話で恐縮するのだが、暴君ハバネロとは要するにネロからのギャグだったのか?
まったくもって今の今まで夢想だにしなかったのであるが。
ええ、閑話休題。
つまり、酷暑の中、時折逃げ込める木陰に感謝をしつつ、服を汗でおしぼりに変化させながら歩く。
水でなく汗で濡れるというのは、やはり生理的に嫌なものであることよな。
しかし、考えてみると、都心で足を棒にして移動する営業マンやら運送業者は毎日がこれである。
或いは、全国津々浦々で運動に勤しむ学生達はどうであろうか。
もしくは揚げ物をする主婦だって良いのだ。彼らに匹敵する苦労を自分は背負っているのだろうか、
そう植田は考えないわけにはいかない。
が、どうあがいたところで植田が体験できる艱難辛苦は植田本人のもののみであり、
しかもそれを今まさしく進行形で体験しているのだからそれでいいじゃないかと
本当に自分に甘いことをグルグルと考えつつ白昼、植田は足を交互に出すのであった。
しかし、本当に、天気天候のことしか書くことがないのであろうか。
話題に困ると直ぐに暑いか寒いか言っている気がする。
癖である。
治さなければ…と、植田は考えているようだ。

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凧を持ってこっち来て
kite、という駄洒落です。

2006/08/04(金) 八月四日
サボタージュする。略してサボる。
最早日本語としか思えない凄い外来語である。
言うまでもなく、基本的に善行とは言えないであろう。
これを日常的に行う人間もいれば、そうでない人間もいる。
植田は密かに自慢としていたのだが、後者の側に属していた。
勿論、圧倒的に人々はそちら側に属してはいるのだが。
このような導入部から誰もが察せられるように、植田はその禁忌を犯した。
別に積極的にそのような行為に及んだのではないのであると
植田が幾ら弁明したところで、それは結局自分の為の言い訳にしかならない。
夏季休業が始まって以来、あまり勉強に打ちこむタイプで無い植田は、
次善策として学校の主催する補習授業に出席していた。
前期補習そのものは先月末に終了ししまったのであるが、
数学の教師が善意から更に八月の最初の四日間、再び補習を組んでくれることとなった。
正直に言って植田にはついていくのが難しかったのだが、まあ頑張っていた。
一日を残して木曜日。植田は同じく受講していた友人にサボりを誘われる。
迷った。植田としてはというか、植田の中に存在する常識としては
圧倒的に受け入れられない申し出であった。
願望としてのサボりがあるとは言え、選択肢には入らないのが普段であった。
しかし、毎朝毎朝、とてつもない暑さである。アスファルトも沸騰しそうだ。
そのようなとても耐えられたものではない気温の中で、
校庭から聞こえる気に障る蝉と野球部員の声に囲まれてよくわからない数列の解説である。
そもそも夏休みからして、真夏が学習には向かない季節であるから導入されたのではなかったか。
つまり、自分は全く理が通らないことをしているのではないか。
孔子先生が泣いて止めたくなるのではないだろうか。
そのような無意味な考えが徐々に植田の脳内で領域を拡大する。
良識が欲望に屈服する瞬間が植田には実に明瞭に知覚できた。
それでも依然主流を行く良識派を納得させるために一晩悩んだ演技をした。あゝ自己欺瞞。
さて翌日…つまり、今朝。
植田は、体制に逆らう幼い昂揚感に胸の高鳴りを覚え、頬をやや朱に染め植田は小声で告げる。
「さぼっちゃおっか」
その後の植田達の行動はあまりにそれらしいものであった。
本屋と新古書店を巡り巡ったのである。遠く神戸は三宮まで足を伸ばして。
持てる資金をほぼ散財して、代わりに漫画と一片の罪悪感に鞄を膨らませ、それぞれに帰宅した。

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「日溜りでお黙りっ」
干からびますです…。

2006/08/03(木) 八月三日
植田には兼ねてから日記を書く上で挑戦してみたいことがあった。
それは何だろうか。もったいぶっても仕方がないのでずばり言ってしまうと、
つまりそれは三人称で日記を書くことであった。
別にそんなことぐらい、いつ初めても良いだろうと思う人も多いであろう。
というか寧ろ、思い立ったが吉日という諺もあるくらいである。
しかし、植田はそうは考えなかったのだ。
人間誰しも下らない執着を持っているのではないだろうか。
植田はそれが物事を始めるにあたっての契機に関することであった。
それだけのことなのだ。
本人にも説明出来ないが、何月一日から、という方がキリが良く気持ち良いではないか。
つまりは、そういうことである。これまでの植田は月が変る度にそのことを忘れ、
数日経ってから後悔するのが常であった。しかし今回はリアルタイムで日記を更新出来ない。
そういう一種の怪我の功名があってこれは実現したのである。
だが、始めて見るとこれは中々簡単なことであり、非常に難しいことである。
何故難しいのか。単純明快、そういう教育を施されていないからである。
幼年期から青年期までの国民は等しく教育を受ける。それは権利であり、
すでに社会システムとしては義務として成立してしまっている。
その場で何を学んでいるのか。現代日本では「自らの意見を表現する方法」なのではないだろうか。
無論、他人の感情や意図を推し測り思い遣るという訓練も受けることは受けるのだが、
基本的な方向性は「私は、僕は、こうこうこう思います」という意見表明の方法であろう。
これは要するに他人の視点で自分を客観視する「恥」の文化の分解に繋がるのではないかという
誰かの受け売りのような思考も植田は持ち合せていたりするのだが、それは置いておいて。
とにかく、主観的に眼前で起こる事象を分析し考える訓練を受けているのであるからして、
自らではない視点で自らを描写するというのは実に難問なのである。
自主的にそういった鍛錬を積もうとしたことのない姿勢も問題なのかもしれないが。
で、あるからこそ今回、このように植田は挑んでいるのだ。
こんな試みもその内役に立つかもしれないし、と思いつつ。

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ツアーコンダクターの意識が混濁だー
非常にまずいです。

2006/08/02(水) 八月二日
夏にしては珍しく暑さをさほど感じさせない日であった。
植田はベッドに寝転んでいる。薄く開けられた目はクローゼットの扉に向いている。
と、茶色く細長い物体が視界の右下から突然侵入してきた。
あまりに唐突であったので少し取り乱し、びくりと身体を震わせる。
よくよく見てみるとそれは、明治期、辞書編纂の際に「か」の字を落された、
あの国民的不人気昆虫…つまりGであった。
声にならない声を上げ、ベッドの上で必死で体感している現実を否定する植田。
それは…ごそり、と、クローゼットに身体を入れて、見えなくなった。
もうこれでクローゼットは半永久的に封印が確定したと思いつつ、
少し安堵の息を漏らしたところで、植田は目を覚ました。
夢落ち…。体験してみると何と素敵な言葉であろうかと植田は思う。
蝉よりも五月蝿く鈴の騒音をかき鳴らす目覚し時計を止め、植田は学校へ行く支度をする。
学期に一つ区切りがつき、一週間分に渡る学校での補習が終った後にも、
数学の教師が善意で八月の最初の四日だけ補習を組んでくれることになっていたのだった。
しかし、この所為で植田は睡眠不足状態にあるとも言える。
市内の高校へ通っているのに、通学に一時間は軽く掛かってしまうのは、何故なのだろうか。
九時という、十二分に余裕のある時間帯にも関らず、普段並の早起きを強制される理由とは何か。
それはもう、市政の不備であるとしか考えられないのではあるが、出来ることは嘆くことのみである。
登校するも、若干呆けたままの頭でベクトルについての講義を受けて、植田は帰る。
寝てみる悪夢と起きてみる悪夢を切り捨てて、次は素敵な夢を見る為に…。

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地殻が近く
なにそのとんでも居住空間。

2006/08/01(火) 携帯から涙を飲んで
ADSL再開通に三週間はかかるそうです。
何週待てばええんですか。
高校野球終わってますよ…。
勉強しろってことでしょうか。
嬉しくないはからいですこと…。


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メイドの食事はうめいど。 ありがとうございます、ご主人様。


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