徒然草
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2006/08/27(日) 八月二十七日
今日も植田は法事へ。やけに仏教に縁のある八月である。
法事が無い今日、という可能性があったことを考えると
本当に先行きなど見えないものだと植田は思わなくもない。
近畿の、というか植田の聞くお経の宗派が特別なのかどうか定かではないが、
部分によってはやたらと軽快な歌うようなリズムで読み上げる箇所がある。
読経も終盤に差し掛かるというパートなので、ひょっとすると
参加者達が眠たくなってきたところで目を覚まさせる為の工夫なのかも知れない。
それが世俗的なのか人心を理解していることの顕現なのかはわからないが、
どちらにしろそういう工夫であるとするなら、目論みは当たっているだろう。
植田は子供の頃から何パターンか聞いてきたが、幼少の時分であればあるほどに
やけにリズミカルであり明るい感じのすることに退屈さをまぎらわせていた。
真偽の程は不明だが、きっと眠気対策だと植田は思っている。
そういえば高速道路でも、車が通過すると三三七拍子を打つ凹凸が付けられている道があるそうではないか。
何らかの特徴的な調子は、刺激として適切らしい。
その法事には結構沢山の人、三十人程度の人が参加していたのであるが、
中に、普段は滅多に合わない伯父がいた。どうせなら植田は彼の子、つまりいとこにも会いたかったが
色々な都合もあるし、残念ながら再会とはならなかった。
が、彼に会えたことも勿論植田は嬉しい。
彼の実家の近所の川に釣りへ連れて行ってくれるから、というのも理由の一つだ。
ルアーを使ったりする本格的なスポーツとしてのフィッシングではなく、
完全なるお楽しみとしての、細い竹の棒を竿に、釣り糸釣り針と浮き、そしてうどんを餌に行うような釣りである。
僕の夏休み、というゲームがあるが十二分に匹敵する牧歌的釣魚である。
法要も終り、食事も終え、参加者の殆ど全員が帰って、それから久しぶりの釣りである。
植田と伯父と植田の妹と、その伯父の子ではないいとこ等でそれぞれに釣り糸を垂れる。
同じ様な釣具、同じ餌、誤差はあるとはいえども同じ場所で行う釣りである。
伯父に妹にいとこ達が次々と魚を釣り上げていく中で、植田の釣り針に一匹の魚もかからないというのはどうしてだろうか。
釣具を交換し場所を変え、餌のつけ方まで教授されて、それでも植田の竿に手応えが無いのは何故だろう。
思い返してみると、これまでの釣り経験、ことごとくそうである。絶対的不調。
植田以外の全員で一尾また一尾と釣り上げて、十尾二十尾とバケツに入っていくというのに、
はたしてこの様な神の気まぐれ的摩訶不思議が起こることが道理に適っているのだろうか。
植田は問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。まあ、法事の日に神様に問い詰めるのも奇妙だ。
だがしかし、仏様はもっと平等な雰囲気が漂っているような気がしなくもない。どうでもいい。
それにしても、釣れない。毎度のことだが。魚だけに、つれない。
こうなってくると釣れないことが植田のアイデンティティに成る。
魚が釣れない、故に我である、という気分がしてくるのだ。
日も暮れかける時になって引き上げる。最終的に今年も植田は植田であり続けたわけだが、
当初こそ悔しかったものの、今となっては釣れなくてもそれはそれで楽しい。
まばゆい太陽の下、麦藁帽子を被り、首の周りにタオルを巻いて、足を水に浸す。充分なのだ。
それで一旦伯父の実家、つまりは植田の祖父母の家に戻って、今度はバーベキューである。
このバーベキューはセットを伯父が二年だか三年前に唐突に用意した。
折角殆どの親戚が集まって沢山の子供がその場に居たということで、ぽんと気前良く買って来たのだ。
こういう思い切りの良さと子供達への面倒見の良さには、植田はやはり親しさを覚える。
非常に厳格な一面も持ち、躾にとても厳しいので陰ながら恐れてもいるのだが。
前回から早くも二年か三年である。やっぱり中々会えないのだなあと植田は実感しつつ、
植田は炭火焼の肉だのおにぎりだのトウモロコシだのに舌鼓を打つ。
前回の時は火力やらなんやらの所為でやたらと炭っぽい食べ物になっていたが、
今回はどうやら伯父は腕をあげていて、沢山の大人も同時に居て手伝えた為に、非常に美味しい出来となっていた。
食べ過ぎたなあと思って植田が自宅へ帰って入浴の時に体を鏡に映してみたが、
腹部のあの立体感は文字で表現しきれぬものがある。

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柚子は譲れん
魚は釣れん…。


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