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2006/08/03(木)
八月三日
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植田には兼ねてから日記を書く上で挑戦してみたいことがあった。 それは何だろうか。もったいぶっても仕方がないのでずばり言ってしまうと、 つまりそれは三人称で日記を書くことであった。 別にそんなことぐらい、いつ初めても良いだろうと思う人も多いであろう。 というか寧ろ、思い立ったが吉日という諺もあるくらいである。 しかし、植田はそうは考えなかったのだ。 人間誰しも下らない執着を持っているのではないだろうか。 植田はそれが物事を始めるにあたっての契機に関することであった。 それだけのことなのだ。 本人にも説明出来ないが、何月一日から、という方がキリが良く気持ち良いではないか。 つまりは、そういうことである。これまでの植田は月が変る度にそのことを忘れ、 数日経ってから後悔するのが常であった。しかし今回はリアルタイムで日記を更新出来ない。 そういう一種の怪我の功名があってこれは実現したのである。 だが、始めて見るとこれは中々簡単なことであり、非常に難しいことである。 何故難しいのか。単純明快、そういう教育を施されていないからである。 幼年期から青年期までの国民は等しく教育を受ける。それは権利であり、 すでに社会システムとしては義務として成立してしまっている。 その場で何を学んでいるのか。現代日本では「自らの意見を表現する方法」なのではないだろうか。 無論、他人の感情や意図を推し測り思い遣るという訓練も受けることは受けるのだが、 基本的な方向性は「私は、僕は、こうこうこう思います」という意見表明の方法であろう。 これは要するに他人の視点で自分を客観視する「恥」の文化の分解に繋がるのではないかという 誰かの受け売りのような思考も植田は持ち合せていたりするのだが、それは置いておいて。 とにかく、主観的に眼前で起こる事象を分析し考える訓練を受けているのであるからして、 自らではない視点で自らを描写するというのは実に難問なのである。 自主的にそういった鍛錬を積もうとしたことのない姿勢も問題なのかもしれないが。 で、あるからこそ今回、このように植田は挑んでいるのだ。 こんな試みもその内役に立つかもしれないし、と思いつつ。
--- ツアーコンダクターの意識が混濁だー 非常にまずいです。
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