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2006/08/05(土)
八月五日
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太陽が穏やかな父性を忘れて狂気を感じさせる核融合の光を無闇に放射し、 光の早さで八分もかかる惑星の東経百三十度前後の大地と大気を容赦なく焦がす時間帯。 トゥルルルルルルルと一台の電話の着信音が鳴る。 植田は主人の帰宅を察した甘えん坊の犬の如く素早く反応し、 ワンコールで受話器を上げ、耳と口に当てる。犬だからワン、では断じてない。 「あ、もしもし、植田さんのお宅ですか。能見と申しますが…」 知った声である。名乗られるまでもないことだ。電話越しとは言え、友人の声色である。 「ああ能見。何、久しぶり」 そうは言うもののほんの五日ほど前に二人は会っている。 日付の感覚を失念している為に五日前ですら随分と前のことのように植田には思われた。 そういうことも、能見が突っ込んだからこそ気付いた。 植田は日頃、在宅している際に携帯電話を持ち運ばない。 よってメールや電話への反応が遅くなってしまうことが頻繁にあるのであるが、 しかし、即座に返事が欲しい場合意外はそうやって返事が遅れても特に問題はない。 が、こうやって自宅へ直接電話してくるということは、能見は即時性のある事柄を話したがっている。 それくらいのことは植田にも推察できた。というか、今から遊びたいんだろうなと思った。 伊達に二人の友情は世紀を跨いではいない。 勿論予想通りである。能見は先ず何人かに声をかけたのだが、季節は夏である。 各人それなりに多忙なのだ。結局誰も捕まらずに最終的な妥協の産物として、 能見の指は植田宅の番号を呼び出すこととなる。なんともネガティブな書き方ではあるが。 まあキャンペーンを張っているのだ、ということで勘弁して欲しい。ヒントは角川書店だ。 しかし、このような別に書く必要のない描写は単なる理由解説に過ぎず、 本当に表現したいと植田が考えているのは、摂氏三十五度を超えた自室のことと、 それよりも尚暑い黒い路上を徒歩で能見の家へ向かう苦労である。 普段は引き篭もりがちな植田であるから、というか受験生として外出が多いというのは 学校や塾の夏季教室を除いて、基本的にあってはならないはずであるのだが、 どっちにしろこのお誘いには中々嬉々として喜びはしたのである。 部屋着から少なくとも外へ出られる服装に自身を着せ替えて、 タオルなり団扇なりを手に持って屋外へ出るのである。 ここで本文は冒頭部へ回帰する。 貴兄らは恐らく小学校で習っているのだが、もっとも気温が上昇するのは、 正午を過ぎて幾らか経った頃、午後二時ごろなのである。まさしく、である。 あまりにも容赦のない熱光線。まだしも暴君ネロの方が人間らしい優しさがあっただろう。 当然である。自然には自然としての考え方がある。人類とは違う思考体系があろうというものだ。 関係ない話で恐縮するのだが、暴君ハバネロとは要するにネロからのギャグだったのか? まったくもって今の今まで夢想だにしなかったのであるが。 ええ、閑話休題。 つまり、酷暑の中、時折逃げ込める木陰に感謝をしつつ、服を汗でおしぼりに変化させながら歩く。 水でなく汗で濡れるというのは、やはり生理的に嫌なものであることよな。 しかし、考えてみると、都心で足を棒にして移動する営業マンやら運送業者は毎日がこれである。 或いは、全国津々浦々で運動に勤しむ学生達はどうであろうか。 もしくは揚げ物をする主婦だって良いのだ。彼らに匹敵する苦労を自分は背負っているのだろうか、 そう植田は考えないわけにはいかない。 が、どうあがいたところで植田が体験できる艱難辛苦は植田本人のもののみであり、 しかもそれを今まさしく進行形で体験しているのだからそれでいいじゃないかと 本当に自分に甘いことをグルグルと考えつつ白昼、植田は足を交互に出すのであった。 しかし、本当に、天気天候のことしか書くことがないのであろうか。 話題に困ると直ぐに暑いか寒いか言っている気がする。 癖である。 治さなければ…と、植田は考えているようだ。
--- 凧を持ってこっち来て kite、という駄洒落です。
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