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2006/08/06(日)
八月六日
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盂蘭盆会というのはなんとも日本語らしからぬ響きの言葉であるが、 それは元々が日本語ではないのだから仕方がないのであろう。 なんとなく外来の文化が根付いてしまったらしい。 今ではお盆として、日本の民俗的に先祖供養を兼ねた一種の休養期間化している。 その時期には一斉に各地の寺に申し込みが殺到し、お坊さんも非常に多忙になるそうだ。 そんなわけで、田舎なので人口は減衰傾向にあるのに、住民が信仰に篤いらしく、 最早日付を指定して経を上げてもらうわけにはいかなくなった、 という非常に止むに止まれぬ理由があって、植田は母と妹で法事に参加してきた。 時期的に中途半端であったのでいくら日曜日とはいえ、殆ど親戚は集まれなかった。 が、まあそれでもいとこ達とも春以来の再開を果たした。 一時間ほど手を合わせた後、少しのほほんとして食事を取っていても、 小学生低学年の男児というのは元気の固まりらしく、シャンプーのテレビ広告の如く、 汗を流して屋外で遊びたそうにしている。この時に歴然と年の差を感じて植田は 彼と遊ぶ気をなくしてしまった。植田の祖父母らの住む家は、真偽はともかくとして 築百年を数える純和風的な建築であって、風は通り易いし、 日が射して欧風明るいリビングとはならない代わりに、高温多湿な風土に実に適しており、 夏は外に出るもんじゃないと家が語りかけているような錯覚を植田に覚えさすほどだ。 それでも扇風機がないと少し辛いのであって、遮蔽物もなくて帽子や日傘ですら 椎茸ほどに役に立たない環境で、誰がキャッチボールをしたくなるのであろうか。 なので、ここは祖母と近況を話したりしつつ、興味のない高校野球を観戦するのが王道である。 そう主張して憚らない植田の慳貪な態度はやはり快いものではあるまい。 いとこの男の子は純粋に不機嫌な態度であった。構ってあげたいのはやまやまではあるのだが、という弁明。 お絵描きでも好きになってくれると助かるのだけどな、と植田はずっと思っていたらしい。 自分勝手に彼の一日も早い成長を願っているとかいないとか。早く大人しくなってくれと。
--- 「医者というのは実に孤独た」 「そんなことありません、私達がついていますから。ね、先生」的。
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