徒然草
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2006/09/26(火) 馬鹿馬鹿しい
運動会の予行演習に四時間もかける愚かさよ。
取りたてて授業を積極的に受け様という意識はないけれども、
しかしこの愚行には閉口せざるを得ない。
先週の競技別説明会は演習の演習ということか。
全部今日やるか先週にやったもので充分ではないのか。
日陰に入れば教師は注意するが、自分たちは職員室かテントの下。
何たる理不尽であることか。確かに年齢が体力的な差を生んでいるとしても。
確かに我々の大方は虚弱ではないが、紫外線の有害さについては、
今更論ずるまでもないし、日焼けというのが皮膚の火傷であるという事実を鑑みれば、
無作為に晴天下にまったく所在無さげな生徒たちを放っておく神経は如何なものか。
生徒たちが演習すべき競技は全部で二十近くを数えるのではあるが、
しかし個人単位に分解すれば多くて三つ、最少なら一つである。
たった一つ、十分とかからない演習の為に、行く場所もなく、
集中力も統率もない、単なる惰性によってのみ行動している生徒の群れ。
我々がなぜそのような学校の専制に耐えなければならないか。
元々学校とはその理不尽に耐える力を養う場所だからに過ぎない。
そこへ服従することが社会に居場所を得るための最短距離であるし、
また、それが確実な生存の条件であることは疑う余地を持たない。
ある程度こちら側が譲歩することによって、
そしてそのこちら側というのが積み重なることによって、
或いは同時に並ぶことによって、社会は一体性を養い、
まとまりをもって安寧秩序が守られる。
それらの総本山たる国家の維持には税金が欠かせず、
そして税金は個々人の収入から引かれていく。
その収入を得るためには労働をせなければならず、
労働が束縛や強制、時に苦痛を伴うが耐え忍ぶことがやはり必要とされ、
だからこそ雇い主は給与を支払うのであって、
これらの一連の流れは鶏と卵の話に帰結する。
働くからお金が貰える。お金が貰えるから働く。
働く人間と働かす人間が国を作り、国は働く人間と働かせる人間に依存する。
然らば、我々は労働のまさしく準備期間として学校に滞在していると言え、
利用しているとも言えよう。
勿論、そのような意識を持たれるだけではあまりにも貧しいし、
そもそも貧しいと考えるということを考えさせられなければならない。
人間とは生存のみを目指しているのではない。だから我々の元には工業製品があるのだ。
誰かがそれを作りたいと思ったのだ。
思わせる下地を作った人間もまた存在したのだ。
であるからして、我々は数学を学び芸術を学び、文法を学び、そして歴史を考える。
そして、鶏とその卵の話へ戻るが、あの問題は永遠に解かれることがないだろう。
が、近代社会の成立はまさしく近代なのであって、これは実は鳥と卵ではない由縁だ。
しかしあえて親と子として考えるのであるならば、鶏と卵は同時に誕生している。
国家が出来たから国民はいるのであり、また国家を作り出したのは国民であった。
国民なくしては国家は存在せず、そして逆もまた然り。
更に我々の暮らす日本が今のところ何とか上手に統治されているものであるから、
結局そこから抜け出すことは我々の損に他ならない。
勉強し、知識を身に付け知恵を生み出せば、そしてそれを多人数との協調の内に学べば、
制度になんらかの不満があった場合、周囲の人間を説得して制度そのものを変えられる。
まあ考え方によって幸せになれる人数に大きく幅があるとはいえ、
現行の制度が学生に対してある程度の自由を認めているところからして、
服従もある程度妥協で簡潔な結論の様にも思える。少なくとも現時点では。
あと十年もすれば絶望していそうな気配が色濃く見とめられるが…。
…が、まあ良い。今ならば運動会程度の束縛は受けても良いのではないだろうかと思う。
はいはい、詭弁詭弁。どうせ逆らうのも面倒なだけなんだろうって、ばっちゃが。

06/10/01 22:55

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避難経路の不備を非難
されて然るべき。


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