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2006/09/27(水)
やっぱり阿呆な
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さて今日は運動会であった。前日の予行演習であれほどまでに文句を垂れたのであるが、 やはり実に下らない体育会だった。どれだけフィクション的なものを求めたところで、 だれも目立ちたがらないのだから何ら熱狂など起こりようがない。 というか、盛り上がる体育会が幻想としてあるのならば、実際が盛り上がるものではないだろう。 結局、人々、というか生徒は場の空気に流され最終的に恥をかかないことのみに躍起である。 私とてそうだ。絶対に目立たないようにあれでも花形であるリレーには参加しまいと、 普段は発言することも滅多にない学級会にて、徒競走以外の競技を選択するべく、 その右手を垂直に挙げたほどなのだ。一番の臆病者が今この場にいる。 ということは、私は社会、この場合は学校という共同体を一種の娯楽装置と見なし、 自分は参加していても主役ではなく、あくまで柔らかな椅子に腰掛ける賓客とし、 ごまんといる他人に、殆ど接点を持たない圧倒的な他人に、主役の振る舞いを求める。 何と卑怯で卑劣なことであろうか。ははは、この反省も空虚に響く。 もう良い。過ぎたことだ。これで恐らくは一生体育祭には巻きこまれまい。 自分の子供が出来たとして、その時に見に行くくらいはしようが。 その前に、唯一兄弟姉妹たる妹の運動会くらいみにいくかも知れない。 中学校組織に対する郷愁というものは、やはり卒業せねば湧き様もあるまい。 何と若く甘酸っぱいことか。甘味は甘味のまま。 そして苦味や辛味は全て若干の感傷を含んだ酸っぱさへと置き換えられる。 その幻想を追及するか排除するかをすれば、そこから文学なり芸術は生まれそうだ。
06/10/01 22:56
--- 観光を敢行 所謂自己責任論。
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