徒然草
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2007/03/23(金) 追悼文、我がベッド
小学五年生の時だったと思う。
遂に私の部屋にもベッドがやってきた。
その時の私の部屋には収納と呼べるものが衣服用箪笥しかなく、
親の部屋の押入れに布団は仕舞われていたのであった。
勿論そこには親の布団も重ねられており、
寝る時間になると、親と妹とで、全員の分の寝具一式をおろし、
各人の寝る部屋まで引っ張っていくという面倒な作業があった。
そこには軽い布団や枕を親が投げ、私が受けるという、
どうでも良い楽しい工夫もあったのだが、究極的には面倒であった。
なので私は次第に成長していくにつれ、面倒から解放してくれる、
布団の上げ下ろし不要なベッドが欲しくてたまらなかった。
ベッドさえあれば!私は何度もそう考えたものだった。
誰が二十世紀末の日本の洋室で床に布団を敷いて寝るのだろう。
そういう恥ずかしさすら抱いたものだった。
まったく冗談でもなく当時の私の中の先進の象徴は、ベッドであった。
ベッドさえあれば、現代的で都市的な生活が送れる。
ここは日本だが、住んでいるのは洋風の家だ。
私にしてみれば、あるべきはずのものが、我が部屋には欠けていた。
そこへ念願叶って届けられたのが、アルミパイプが無機的な、
青いカバーがまるで海か空のようなパイプベッドだった。
私は喜んで今よりずっと不器用な手を使って、自分で組み立てた。
組み立てた後、布団を引いて、上で妹と飛び跳ねて遊んだ。
そのころの私達にとって、ベッドとはつまり跳ねて遊べるものだった。
よく考えるとこれは明らかにベッドの寿命を縮めていたのであるが、
判明するのはこのしょうもない遊びの何年も後なのだった。
スプリングの無いパイプベッドである、
我々二人の自由落下の衝撃で、板を支える背骨が何本も折れていた。
この時でなくても、ベッドに飛び乗っていた、
ベッドとはつまりすべてを受けとめるものだと思っていた、
そういう幼い認識の時代のいつかの部分だろう。
さて、そうして何年もが過ぎていった。
私は小学校を卒業し、中学校に入学し、クラブ活動で汗を流し、
受験勉強を少しだけし、高等学校に入学し、日々を漫然と過し、
最後に焦って勉強をして、そうして大学への道を通し、
未練を残しながらも再びのんびりとした日々へ回帰した。
私は一年を通し、ベッドの上で普通に眠り、或いは時々昼寝をし、
寒い時分は着替えをし、読書をし、宿題も横を向いてこなし、
音楽に耳を傾け、友人と語らい、または遊び、病気の時は臥せった。
まずベッドに用の無い日はなかったと断言しよう。
あるとすれば、旅行の時と、毎年の八月の三十一日だけだ。
圧倒的な物量が残る宿題ほど睡眠から縁遠いものもあるまい。
そうして単純に計算して、一万五千時間以上をベッドの上で過した。
確かにどうしようもないくらいに傷んでいたベッドだったが、
リクライニング機能は生きていたし、高さも大きさも馴染んでいた。
ベッドの下の空間も手入れのしにくさを別にすれば有効利用できた。
そうして、親の買い替えの勧めも適当に誤魔化し続けて暮らし、
長い休暇も半ばを迎えた先日は三月十日、遂に使いものにならなくなった。
かくして私は再び何年も前の状態に戻って床で寝起きするはめになった。
役目を終えたベッドは、単なる傾いだ棚として、下に衣装箱、
上にCDラジカセと幾つかの書類の置き場となった。
非情なことであるが、私に躊躇はなかった。
さて、一昨日決まったのだが、明日から私は一泊二日の日程で、
祖父母の住む家を訪ねることとなった。
二十六日には新しいベッドが届く。
今日にしか暇は残されていなかった。
私は重い腰を上げ、ようやくベッドを解体することにした。
ベッドを組み立てた私が、ベッドを初期状態に我が手で戻す。
ネジを締めたドライバで、ネジを外す。
パイプを引き抜き板をのかして、プラスチックの留め具をまとめる。
一時間と少しの後に全てが単なる部品の群れとなった。
金属類を庭の軒下に移し、木や布の部分を重ねて部屋の壁に立てかけると、
部屋にぽっかり床の色をした穴だけが残った。

07/03/27 01:37

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ベッドの追悼文の案を練る
なにせベッドは寝る為のものですから。


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