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2009/12/24(木)
一人きり
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私が日記を書き湯浴みして寝る事を決め、其れ迄読んでゐた三島由起夫の憂国に栞を挟んで閉じた時の事です。台所の食卓に無造作に置いてゐた携帯電話機が鳴るので私は立ち上がって其方へ歩いて行きました。液晶画面には友人の名が映されてゐます。私は其の友人(便宜上Rとします)が、今日後輩とデートへ行くと言ってゐたのを思い出して、此の電話の用件が自慢か不満かを少しばかり逡巡しました。何時までも待たせては悪いので程々にして電話に出て遣ると、果たして用事は前者でした。Rも嬉しいでしょうが、私も朋輩の喜びを共に祝福しました。ただ、話を聞いてゐる内に僅かな妬み嫉み(そねみ)が兆して来ましたので、冷蔵庫から冷えた缶麦酒を取り出すと、がぶがぶと飲みながら話の相手に成りました。人は其れを不徳とするかも知れませんが、Rがお相手と待ち合わせ、Rがアウトレットモールを廻り、豪華な夕食を相手と微笑み合いながら食べてゐるのと同時に、私の方はやっと起き出し、流行らない地方百貨店を冷やかし、取って返して来て書店で常と変わらぬ様に働いてゐたのです。Rが後輩と夜景を望みながら語らってゐるその百五十キロ南西では母が心ばかりに誕生祭前夜らしく飾った夕食を特段の感慨も無く食べ(寧ろ私はいそいそと母が夕食を其れらしく用意してゐただろう事を思うと哀しくなりました。何故哀しくなんか成るのかは判りませんし、私も母の子なら無邪気に楽しむべきかとも思うのですが。)、経済紙に目を通して、挙句に憂国なんて云う謂わば滅びの物語に没入してゐたのです。麦酒位口にしないとどうにも遣り切れない感じがするのも自然ではないでしょうか。 其の様な報告とも愚痴とも付かない文(ふみ)を打鍵しつつ、ウェブで辞書を引いた際にうっかり同じウィンドで違う頁を開いてしまい、今の此の文章の原型をすっかり消して仕舞いました。私は一体げんなりしてまた一口麦酒を啜りました。明日は善い日に成れば良いのですが。 では、私は湯浴みへ行きますので。おやすみなさい。
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