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2009/12/18(金)
不実なひと
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私は今、心底私と云う一個の存在が嫌いです。幼い子供が喧嘩の終いに「もう誰々なんて嫌い!」と云いそっぽを向く様な直情的な、その分だけ真剣に心を動揺させる、苛立ちを伴う嫌悪です。私はどうしてこうもだらしない性格になったのかと云う呆れも有ります。 私はこの一週間足らずの間に二度も企業説明会に遅刻し、常々重視しているゼミですらも連絡一つせずに欠席したのでした。勿論、全て私に負い目が有ります。 ゼミを無断欠席した所為で近頃度々迷惑を掛けていた女子を相当に怒らせて仕舞いました。私は彼女が私を無視すると云う宣言をした事を人伝に聞きました。その幼稚な言動に全く不快さを覚えましたが、而して私に逆上する道理が有りましょうか?有る筈が有りません。私は彼女の幼稚な態度に反抗する事も許されず、まるで前評判の割りに湿気たサーカスでも見せられた様な宙に浮いた反発を持て余すのでした。又、彼女にそうした幼稚な行動を取らした自らの不注意を悲しいと思います。 私は自分を哀れに思いました。どうして其処迄の自覚と反省が有りながら行いを是正出来無いのでしょう。 私はゼミをすっぽかす一方で夜からは同好会の忘年会にはきちんと…と言っても大分遅れてですが…出席しました。其処で当然の様に酒を飲み肉を食い笑っていました。二次会を開けば奮発して後輩に奢り、カラオケへ行けば慎重に選曲して唄いもしました。 私は其の事に大いに背徳の念を抱きました。詰まり、散々人を裏切った…と云うのは些か誇大かも知れませんが…癖に平気に楽しむ自分を、心裡的な目が非難がましく私を睨むのです。 そして又、こうして凝った文章で一々世間に公表する自分をどう仕様も無く軽蔑します。自分に因果が属する事で人を憤らせておきながら、行為自体を種に記す事は不謹慎ではないでしょうか。そうした不謹慎さを浮かび上がらせ、更に自戒し且つ他人の反面教師と成ると云う意味付けなら可能でしょうが、そう云った方便自体蔑まれるべき物です。 一体私はどうするべきでしょうか? 少なくとも明瞭なのは先ず人並みに生きる事です。人並みに期限を守り、約束を履行し、連絡を絶やさぬ事です。 私は面倒を避けながら生きるつもりでしたが、面倒な事を避けると云う擦り替えに陥っています。 それが直る迄はこうして隈無く反省して自らを晒し者にするより有り得ません。
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