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2009/12/09(水)
没交渉と飽き、及び空腹と再生
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私は今日、お腹が空くという感覚を始めて有難いと感じた。それには以下のような経緯がある。 ここ数週間というもの、私には社会と接点を持って常識的に暮らそうと言う気が一切起こらなかった。社会と接点を持つ、というのはつまり、大学に通い、サークルに顔を出す、という程度のことであるが。 とは言え学生たる私の生活の中核を為す部分であるには間違いのないことである。 私がその社会と繋がっているべきという常識を放棄した結果、私にはただ怠けるという選択肢しか残っていなかった。辛うじてゼミ長を務めるゼミにだけは出席していたが、その他十程の講義には全くと言って良い程出席しなかった。講義が行われているにも関わらず家から一歩も出なかった日も多い。ゼミにした所で、ゼミ長としての役割を悉く蔑ろにし、ゼミに積極的な者達の不興を買い続けていた。その不快感と、義務を果たしていないという罪悪感とが私に絶えず言いようのない焦りや苛立ちを覚えさせたが、それは最終的に更に私を内向的にさせ、一切の使命感、やる気といった正の感情を減衰させ、端から見れば怠惰としてか表現しようもない生活へ退行させる結果しか残らなかった。 私は負のスパイラルに陥っていたのである。 螺旋形の旋回部分に関しての説明は上記に求めるとして、ではその発端とは何かと言うことを考えなくてはならない。 私は仮説でしかなかったその発端部分について今日確信を抱いた。 それと言うのは、取りも直さず「飽き」だ。 キャンパスで見られるもの、聞かれるもの、触れられるもの全てに飽きた。通学の時間に飽きた。学ぶことに、喋ることに、食べることに飽きた。私は、考えることや、立つことや歩くことや排泄於いてすらも心底倦んでしまった。どうして私は片道二時間近くもかけて大学に通っているのだろう。私の住んでいる街と何ら変わりのない無個性な宅地に立つあんなキャンパスまで、何故。 飽きを自覚すると無性に眠たくなった。眠りは一時的な忘却であり、疑似的な死…リセットだった。余りに俗物的な言い方になって少々恥ずかしいのだが。 誤解しないでほしいのは、私は何もこういう生活を望んで送っていたのではない。勿論、その様な生活が許されるという状況それ自体は喜ばしいことだ。けれども、それを誇ろうと言う気は全くない。 さて、私のその病的なまでの眠気が私の体をすっかり乗っ取ってしまった後、私からは常識的判断等だけでなく、生理的な飢えも渇きも失われてしまった。それが二日前のことである。従来ならば未明に眠りに就き、昼過ぎに目を覚ましてもそもそと食事するのが数週間に及ぶ生活スタイルだった。アルバイトのある日だけはそのまま働きに行った。それが、この二日間と言うもの、目覚めと共に私には何も訪れなかったのだった。昼から晩までを漫然と過ごし、義務的に夕食を食べてまた漫然とし、寝る。私は麻痺した脳は、それでもそれはもう危険水域だと告げていた。これ以上の退化が進めば、それは人としての終わりを意味すると。 だからこそ私は今日、講義には間に合わなかったものの、奮起して大学の図書館まで行き、法学の書架の狭間で空腹を感じた時、アア、やっと生き返ったのだと、心底安堵したのであった。 そしてまた、単なる胃の空きでしかなかったが、その空腹によってこそ、この秋から初冬を覆っていた暗雲の如き鬱々とした情勢にようやくピリオドが打たれたような気がしたのである。
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