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2010/01/10(日)
28日3
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老いるのを恐れること。 肉体的衰退も、精神的円熟も、それは私は怖くありません。それらはきっと気付いた時に全てが済んでいて、死の恐怖しか残さないものでしょうから。当然死は怖いです。 ただ、私は、知的頽廃を恐れます。私は今確かに猛烈に読書をしていますが(たかが知れた量ですが)、これがいつまで続くのか。私は、思い切り遊んだり働いたりすると食欲と睡眠欲しか残りません。もし、社会人になって目一杯働くようなことになったら、今日読んだのが書類と新聞だけという日が多くなりそうで怖いです。 マスコミに踊らされ、浅薄な意見しか持たない無教養者。 そういう嫌悪は無意識的に両親の姿を重ねているのかなと、三島由紀夫の「絹と明察」の解説を読んで思いました。 勿論、私は父母を愛しています。勤労にも感謝しています。私も能う範囲で扶助する側に回りたいと思っています。 が、それとは別に、知的好奇心を半ば放棄し、娯楽と情報を専らTVと新聞にのみ求める姿の歪さにゾッとします。 そして、私も二十年三十年と働く内にそれで満足するような人間に変格するのでしょうか。 私は今、どんなに眠たくても面白い本を読めば目が覚める自分の性分に救われています。 今はまだ、疲れてたって少しくらい本を読めるのですから…。
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