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2010/01/11(月)
28-4
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友人と話していて、私が誤解を受けていることが分かった。 これも昨日、つまり27日の話。 「植田は街が盛大に破壊されたらだいたい何でも楽しめるんやろ?」 そう尋ねられた。 勿論創作物の鑑賞の趣味の話である。 そして、結論は、違う。 その場でも触れたことであるが、私は確かに破壊や蹂躙といった巨大な暴力が好きだ。 日本列島が割れたり沈んだり、彼女が兵器だったり、大阪城のお堀に怪獣をほりこむような話が好きだ。 ただ、それは破壊に戸惑う個人の後方に社会や国の動きが見えているから楽しいのである。 破壊や蹂躙の表現の爽快さも精緻であればあるほど爽快で面白いがむしろそれは主題ではなく、社会や国という大雑把な概念の実務的な混乱が面白いから破壊や蹂躙が好きなのである。 だから私は破壊や蹂躙の他に、滅亡や勃興の話も好きだ。 南極にしか人類が生き残っていないとか、東京都が日本から独立するとか、政治結社が国家転覆しちゃうとかの類いだ。 なんと表現しようか。まあ最低の言い方をするなら他人の不幸は蜜の味である。一億二千万人が路頭に迷う話が面白いのはそういうわけだ。数兆円の資産が灰となるから怪獣が来るのが面白いのだ。まあ他にも、“リアリティのある架空”が持つ特有の緊張感とジョークみたいな状況の妙であるとか、まあ色々ある。そういう色々を程良くブレンドして、シーンとして上手な破壊を見せてくれる作品…それは大満足である。
ちなみに上から具体的に言うと、「太陽の黙示録」「日本沈没」「最終兵器彼女」「ゴジラの逆襲」「復活の日」「東京独立共和国」「愛と幻想のファシズム」。なんと仰々しいタイトルの連続だろう!
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