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2011/12/23(金)
ピングドラム24話
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輪るピングドラム24話(最終回)の感想。
泣くわ…。
さて。思い付きの推理。
物語の前提として、「運命」と、「運命を自らを生贄に変えられる力」がある、とする。
その上で、彼等がラストの直前まで歩んできた世界は以下のようだった、と推測。
兄妹3人には臓器とか目とか、兎に角、移植できる部位の障害があった。冠葉と昌馬とは、幼少時に冠葉の父の臓器を二人で分けて治療している。二人の、生命維持に関わる様な臓器提供ができれば、陽毬は生き延びる事が出来る。 自分達の病、自分達が生き延びる為に人を結果的に死なせていることに対する罪の意識が、「運命」について彼らに考えるよう強制している。
昌馬の父は、16年前当時に、未成年者への臓器移植を合法化する為に、過激な政治活動に身を投じているし、母も同調している。というのも、利害関係者が少なくて中々政治的に前進しない問題( =優先順位が低い)であり、国を(厚生行政を)牛耳るためにそれは仕方が無い(と彼等は考えている)。 財閥という体制側の人間の癖に、孫の為とはいえ、その活動に賛同し財閥を抜けた息子を冠葉の祖父は許せない。
一方で「運命を変える力」が桃果にはあって、そちら側にいるのが、苹果や時篭や多蕗。そちらには、「愛」や「存在の認識と許容」が深く関わっている。
陽毬は、兄達を犠牲にしてまで生きていたくない。 兄達は、自分達はどうなってもいいから妹に生きていて欲しい。 だから、運命を苹果より先に乗り換えてしまって、もし、「陽毬が健全な体を持って生まれていたら」という別の運命を優先させる。 昌馬と冠葉の運命がどこかへ行って、昌馬の両親の存在も何かへ書き換えられて、兄達と妹との接点のない、新しい運命が始まった。
みたいな話だったのではないですかね。文章の意味分かりますか?笑
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