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2011/02/15(火)
思索の初期段階
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twitterでちょっと眠たくなってきたという話をかなり迂遠に書いた。 自覚すると、眠さが加速度的に増す。 が、眠くない状態から眠たい状態へは自然には一方通行なのだから、どの時点で眠気を自覚するか、という事しか本当は問題ではない。
所で会社へ出した課題は、三島由紀夫について書いた。 何について書いても良いとされていたので、ちょっと考えていたことを書いた。 彼の、適切な言葉遣いや、丹念に意識を見る目を我が物にしたいと云う文章だった。
私が分からないものの一つに、私自身がある。 他者を理解する時は、ある範囲だけを見て、人格を把握できる。 それを「本当の理解」とは思わないが、ある意味で真である。 少なくとも、人々には各々備えた「傾向」と云う物があるはずである。 「消費」と「キャラ」で生きる現代人ならば猶の事である。 ならば、自分に関しても、大まかに把握できるはずだ。 其れなのに、未だに出来ない。 感情の移ろい等、丁寧に言葉にしていけば、自分が見えて来るのではないかと期待している。だから、書いた。
もう十六日だけれども、気持ちは十五日の続きを生きているので、十五日の日記とする。
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