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2012/02/22(水)
五年次
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昨日は、夜勤のアルバイトに備えて、夕方から晩御飯迄の時間寝ていました。 起きた所で、親に二通の封筒を渡されました。 一つは、恋人を伴って行く旅行の行程表でした。金沢へ行きます。 もう一つが、大学の事務から送付されたもので、卒業要件単位の修得を認めるものでした。 どちらも大して厚さに変わりは有りませんでした。 何と、呆気無い。 大学からの便りには、「卒業おめでとうございます」「卒業式の詳細については別紙を参照して下さい」、と云う様な事が書いてあるばかりだった。 去年、私の多くの友人は、此の特別大した事のない紙を、特に感慨が起こる事も無く平静に受取ったのだと思うと、目眩がする様だ。 しかし、一先ずは慶事である。 ようやっとの事、私も天下の学士様である。 五年も掛けて、金子も時間も浪費に浪費を重ね、僅かばかりの教養を得、今更ながら社会に出る。 社会に出る事に、以前の如き昂揚は無い。 空しさも少しは、有る。 ただ、それでも、留年は私に、反省する猶予と、勉学の機会と、楽しい浪費の延長とを与えたとも思える。 今でも、仮に順当に卒業していたら、と考える事は有る。 後悔ばかりが募る。 しかし、結局何とか成った。 これからも何とか成る、とは思えないが、それでも、きっと、将来困苦の際に、此れ等の経験は前向きに考える論拠と成るだろう。 私はポジティブさ信仰は大嫌いだが、「頑張ろうと思って頑張る事」が必要な時が有る事は認める。 ああ、何と言えば良いか。 結局、今どう思っているかがはっきりしていない。 喜びや、安堵や、冷笑や、不安や、口惜しさや…。 だから、文章もまとまらないのだ。 口調すら安定しないのは、高校の時以来かも知れない。
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