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2014/03/13(木)
廿五歳の誕生日
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生まれて四半世紀の年月が流れました。 年長者から見ればまだ若いと言える年齢ではありますが、 日本人の三人に一人位は年下なのかと思うと物凄く年を取った様な気持ちになります。 あ、別に人口動態を調べたりして三分の一と書いた訳ではないです。
廿五歳になって、ますます近視眼的な考え方しか出来なくなって来たように思います。 今日明日の仕事の事、という一番の悩み事を除いてしまうと、 詰まらない消費計画の事位しか思い描けません。 今欲しいのは、自家用車と、デジタルカメラと、ソファと洒落た食器位です。 そして、スカイダイビングと、セスナに乗っての遊覧飛行と乗馬を計画する位で、何というか、実に詰まらない事だと思います。 ゴルフの練習に行ったり、テニスをしたりと、昔は思わなかった事だって欲望しますが、そんなものはしてしまえば良いですね。 迷う事ではない。 そして、他の興味と言えば、結婚の時機と転職位でしょうか。 いずれにしたって、よく言えば地に足の着いた、しかしやっぱり程度の低い考え事しかしていないなあと感じます。 こう云う事に思い至る度に、 軽蔑していた小市民的というか庶民的な情緒をしか最近使っていないような気がします。 個人として、もっと複雑で、気高く、上品に、そして社会を拒むのではなく、いい具合に内面化して、生きたいのですが。
それでいて、もっと、法律とか政治とか社会とか思想とか、そう云う大きな物事に就いてもっと知り、思案し、発言して行きたいものですが。 時間がなく(本当にない!)、嫌いだったテレビを本当に全く見なくなり(一日十分以下)、新聞もどんどん読まないようになってきて、最早世間や国際の事について関心が薄れて来ました。 報道の姿勢や、何やかやについて文句はありました。 しかしそれとは別に、マスメディアというのは、社会と自分が繋がる為のツールなのだ、と云う事が身に染みて分かります。
マスメディアと縁の切れた状態でフワフワと日々を暮していると、 職場と自宅と自分好みにカスタマイズされたネットの世界(と云うか栞を挟まれ仕分けられた世界)しかなく、 予想外の事であるとか、鮮やかに新しい知見と云うのが遥かになってきます。 平成生まれの新世代の申し子ではありますが、 一方で二十世紀生まれの前世紀人でもありますので、 どうにもそんな事が後ろ暗く感じてしまうのです。
これから私は、例えば次の四半世紀、どう生きる事になるのでしょうか。 私の身に、そして日本にどんな変化が起ころうとも、 好奇心を持って、腐らず、健やかに生活出来たらな、と願います。
本当は川上未映子の「発行地帯」の話も入れたかったのだけれども、 或は本谷有希子の「ぬるい毒」の話も入れたかったのだけれども、 どうにも入らず。 普段読まない女性作家の文章なのに、気に入るのは何故だろう?という事を書きたいのに、全然違う流れになってしまいました。
日記を書くというのは、即興演奏みたいなもの、 なのかも知れませんね。 音痴なので音楽に例える事が適切なのか判然としませんが。
あーあ、誕生日に十三時間も働きたくなかったな。 もう終わって仕舞う。 プレゼントもないし、詰まらないの。 (あ、でも、メールを呉れた四人の人には感謝を。)
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