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2004/11/23(火)
「ラ・ボエーム」雑考その4 ショナール&マルチェルロの巻
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◆芸術家たちの挫折・・・そのA:ショナールとマルチェルロの挫折◆ 第1幕冒頭で芸術家としての挫折を感じていたロドルフォ。 しかしミミの登場で彼の芸術家としての魂は再び蘇るのです。 では画家マルチェルロ、音楽家ショナールは・・・?
●ヘンテコなバイトで金を稼いできたショナール● 第1幕でお金を稼いで帰ってきた音楽家ショナール。 彼はそのアリアの中でそのお金を稼ぐ様子を自慢げに語ります。 (※その内容については11/20の日記「雑考その1」参照) この仕事は音楽家として正当な仕事と言えるでしょうか?
ロドルフォは「カストロ誌」の原稿を書くことに気が乗らなかった。 ・・・その理由はその仕事の内容が、自らの芸術家としての魂を燃やすのに適したものではなかったから。 同じようにショナールの仕事は音楽家としてむしろ屈辱とも言えるものだと思います。 「うちのオウムの鳴き声がうるさいから、その鳴き声をかき消すために演奏をしてくれ」 ショナールは聴衆もいない部屋で、三日間もピアノ(原作では)を引き続けます。 それが夢を燃やす音楽家にとってどんなに屈辱的だったことか・・・。 ところが当の本人ショナールはそんなことにちっとも気をとめていません。 彼はとても現実的な考え方をしていて、まずはお金を稼ぐことができたことに満足をしています。 それが悪いことだとは思いませんが、その意味ではロドルフォの方が芸術家として純粋なのかもしれません。
第2幕ではホルン(狩猟ホルン)を買います。 このホルンが本当の意味での(芸術的な・・・という意味での)楽器ではないことは注目です。 この狩猟ホルン・・・一体何に使うんでしょうね?(笑)
●看板書きマルチェルロ● 第1幕で生き生きと描いていたはずのマルチェルロの作品「紅海」は第3幕では無残にもキャバレーの看板になっています。 ムゼッタとよりを取り戻したマルチェルロは彼女との生活のために、ムゼッタの働くキャバレーの店長の世話になり、看板書きとして生活をしています。 そこには芸術家としての生き生きとした姿は微塵もありません。 第4幕。ムゼッタと別れたマルチェルロは再び芸術家として作品を手がけますが、その作品は第1幕の作品よりも劣っていることは言うまでもありません。 彼にはもはや芸術家としてのエネルギーは残っていないのです。 (つづく)
↓今日レッスンの帰りに出会ったネコ。夕空を見つめる横顔が素敵です。※ネコにも肖像権ってあるのかしら?
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