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2004/11/24(水)
「ラ・ボエーム」雑考その5 コルリーネの巻
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◆芸術家たちの挫折・・・Bコルリーネの挫折◆
誰よりも純粋に芸術を愛した男コルリーネ。 最後まで芸術家であり続けた哲学者は、 瀕死のミミを前にして自らのシンボルとも言える外套(コート)を売りに行くことを決意します。
●コルリーネのアリア● 当時パリの街を外套を着て歩く若者がたくさんいました。 ボヘミアンと呼ばれた彼らは好んで汚い身なりをして髪を伸ばし、ヒゲを生やし、自分の哲学や芸術論を語り合っていたのです。 昭和70年代のヒッピーのような感じ・・・もうちょっとわかりやすく言うと、ちょっと前まで渋谷にいたガングロみたいな感じを想像するといいかな? とにかくそんなボヘミアンにとって「外套」を捨てるということは、ガングロギャルが顔のメイクを取るようなものなのです。
「外套を売りに行く」ということは単に慣れ親しんだ服を捨てるというだけではなく、 すなわち「哲学を捨てる」というほどの決意なのです。 この決意は第1幕でロドルフォが物憂げだったこと、 第3幕でマルチェルロが看板書きに成り下がったこと (ショナールに至ってはすでにオペラの幕が開く前に音楽家としてのプライドを捨てています) と同様のものとも言えます。 それが第4幕の最後に出てくるのは、コルリーネがこの4人の中で最後までボヘミアンであり続けた、ということなのでしょう。
●すべてが無駄だった・・・という悲劇● 前述しましたが、この「ラ・ボエーム」というオペラの最大の悲劇は、ミミの死そのものではありません。 瀕死のミミのために何もできないでいる若者たちの姿こそが悲劇なのです。 そして、最後のボヘミアン:コルリーネが自分の夢を捨てて外套をお金に代えた・・・ところが彼がお金を得て部屋に帰ってきたときにはミミはすでに息絶えている・・・。 この虚無感こそが最大の悲劇なのです。
原作ではミミが死んだこの日を境に4人の芸術家たちは散り散りになり、二度と会うことはありませんでした。 他の3人がその後も貧乏だった中で、コルリーネだけが金持ちの女性と結婚し裕福になります。 それは本来ボヘミアンが「理想」として語った生き方とは逆のものです。 最後までボヘミアンであり続けたはずのコルリーネは完全にボヘミアンとしての生き方に見切りをつけたわけですね。
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