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2004/11/26(金)
「ラ・ボエーム」雑考その7:最終回
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◆ロドルフォの心理◆ ラストシーン・・・ロドルフォは何を思っているのでしょうか? 本当にミミが死んだことに最後まで気づいていないのでしょうか? ト書きと歌詞からそのシーンを再現してみます。
まずミミが息を引き取っていることをショナールが発見します。 次にそのことをショナールはマルチェルロに告げます。 コルリーネの「どんな具合だ?」の質問に「今は静かだよ」と答えて振り返るロドルフォ。 そこでマルチェルロとショナールの異常な態度に気づき、こう言います。 (恐怖からノドを詰まらせた声で) 「何を言おうとしているんだ?そんなに行ったり来たりして・・・なぜそんな風にオレを見るんだ・・・」 そしてこらえきれなくなったマルチェルロがロドルフォのところに走り寄り、抱きながら苦しい声で叫びます。 「しっかりするんだ!」 この言葉でロドルフォは全てを理解し・・・「ミミー!」「ミミー!」と叫び幕となります。
このシーン。冷静に読み返してください。 ロドルフォは本当にミミの死に気づいていなかった? マルチェルロが「こらえきれなくなった」のは何に対して?
ロドルフォはマルチェルロの言葉でミミの死を確信します。 本人がミミの脈を取るなどの確認は一切していません。 ロドルフォは「確信」こそはしていないまでも、ミミが死ぬこと(それは時間の問題である、ということ)には少なくとも気づいているはずです。 それをふまえた上で時間をさかのぼると非常に重要なセリフがあることに気づきます。
ムゼッタがお祈りをしているのに対して、ロドルフォはこう言います。 「オレはまだ希望を持っているんだ。君にはそんな危険な状態に見えるのかい?」
何かがおかしい、とは思いませんか? そのだいぶ前。ショナールはミミを見て「半時間ももたないぜ」と言います。 それぐらい「危険な状態である」ことは一目瞭然なはずです。 ロドルフォが言っているのは実際のミミの状態ではなく、飽くまで「希望」です。 そんな風に思いたくはない、信じたくはない・・・という言葉であるはずです。 ・・・ということはロドルフォはミミの死が少なくとも間近に現実のものとしてある、ということには気づいているはず。
死を直前にしている人間が眠っているようにみえるとはいえ、目を閉じている。 この光景って恐怖じゃないですか。 そんな状態でロドルフォは長い時間ミミから目を逸らしている。 これがまた大いなる違和感です。
●オーソドックスな演出で演じた場合の違和感● オーソドックスな演出では、ミミが死んだ瞬間を誰も見ていない。 ミミは「眠るわ・・・」と最後の言葉を残して息を引き取ります。 この瞬間に全員がミミから目を逸らしているという違和感。 何度か「ラ・ボエーム」の公演を客席から観ましたが、毎回感じる違和感はコレです。 ミミが息を引き取る・・・ (間)・・・この間全員がミミから目を逸らしている・・・ そしてロドルフォのセリフ「医者は何て言っていたんだ?」 このセリフがまた何だか違和感。 (いらついて)もしくは(つめよるように) 「医者はまだ来ないのか?」の方がしっくりくるんです。 でもあえてイッリカとプッチーニはこの言葉を選んでいる。 僕にはロドルフォの心理状態が動揺しているように感じます。 そしてマルチェルロの返答「来るさ」 これがまたロドルフォの問いの答えになっていない。
これはプッチーニたちのミス? そんなわけがない。ここまで綿密な打ち合わせで作り上げたこのオペラの台本。 初演の後も修正を重ねているというのに。
ロドルフォはミミの死に気づいている。 確信こそはないが、ミミは眠るように息を引き取った・・・。 だが「信じたくない」。だから確認もしない。 「ミミは死んでいない」そう自分に言い聞かせるロドルフォ。 ・・・間があり・・・ 動揺から生まれたおかしな会話。
●真相は?● ラストシーンをもう一度読み返してください。 マルチェルロとショナールの態度だけでロドルフォはミミの死を知らされます。 ・・・いえ現実をつきつけられますと言う方がよいかもしれません。 マルチェルロは現実を受け止めようとしないロドルフォの様子にこらえなれなくなりロドルフォのもとへ駆け寄り、彼を抱きます。 マルチェルロ「しっかりするんだ!」 ・・・・・・・ ロドルフォ「ミミー!」 ロドルフォはミミに駆け寄り叫びます。「ミミー!」・・・(終演)
あくまでこれは仮説ですが、 あの違和感を解決するため、 台本(会話)上の矛盾を解消するため、 上記の解釈でこのラストシーンを見ると何と必然に満ち溢れることか・・・。 この仮説のことを「考えすぎ」と思われる人も多いでしょう。 でもプッチーニとイッリカたちが何度も何度も手紙による打ち合わせを重ね、校正に校正を重ねた末に書き上げたのです。 それこそ「考えすぎ」なほどに。 僕はそうして完成したこの台本と楽譜に敬意を感じずにはいられません。
※これまで「ラ・ボエーム」雑考を読んでくださってありがとうございました。 明日から当コンテンツはまた日記に戻ります。 これらの解釈は昨年3月のKOTOオペラ公演の際に演出家、出演者による入念な「本読み」を重ねた末に行き着いたもので、これまでの演出方法を否定するものではないことをくれぐれもご理解ください。
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