舞台裏日記
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2005/09/04(日) マーラー「千人の交響曲」
東京文化会館へ行き、
マーラー「千人の交響曲(交響曲第8番)」

を聴きに行った。
第一部はド派手!
まさに「本来の曲のクライマックスを集めまくって出来た曲」といった感じで、
僕はCDでもよく聴いていたけど、マーラーの中でも一番好きな部分だ。
とにかく「血が騒ぐ」
圧倒的なパワーに思わず身体中に力がみなぎった。

第二部は一転してオペラのワンシーン(もしくはカンタータ)といった様相。
神秘的な雰囲気の中で主題が受け継がれていく前奏曲から、
ソリストによる歌曲風のアリアが続く。
エキゾチックで細やかな表現が満ちているが、正直、長い・・・。
我慢強く聴いていくのは若干、修行に近い。
・・・内容自体がそんな曲なんだからそれはそれでいい。

フィナーレに入り、第一部の主題も登場すると一気に盛り上がる。
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マーラーの交響曲の変遷を見ていく。
第一番は・・・「青春時代の挫折」を描き、
第二番「復活」では・・・友人の死をポジティブな態度で乗り越える。
第三番〜第四番は・・・天国のようなユートピアな世界を描き、
第五番では・・・ベートーヴェンの「運命」を思わせる動機により、人生の苦痛、もしくは地獄を描く。
第六番「悲劇的」では・・・自らの人生を悲愴的なものとして自虐的な音楽。
第七番では・・・現世や「生と死」を超越した『自然界』に救いを求め(逃げ込み)、
そして第八番「千人の交響曲」で、「死」というものに正面から向かい合っている。

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そしてマーラーが選んだ最後の歌詞
「永遠に女性的なものが私たちを引き上げていく」
この歌詞は死の恐怖に打ち克ったマーラー哲学の結論である。
死というものは恐ろしいものではなく、母のような、女性的なもののようなものに、
包み込まれるように、安心しきって快楽の中で天国へ引き上げられるのだ。
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そのフィナーレを聴いていて、僕は先日テレビで見た「臨死体験」を想った。
生と死の境い目を経験した人の多くは同じような感覚を経験しているという。
そのとき人は「死の恐怖」を忘れ、むしろ「快楽」を感じるらしい。
まるでマーラーの「千人」フィナーレはそんな世界だった。
神々しくあたたかい音世界に身を委ねる「快楽」。
・・・あぁ、死する瞬間というのはこういう感覚になるのかもしれない・・・と思った。
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変な話だが、マーラーは「予知能力」を持っているような人だった。
●「亡き子をしのぶ歌」を書いた後、マーラー自身の娘も死んでしまう。
●交響曲第六番で「悲愴的」な人生を描いたら、マーラー自身も一気に悲劇的な運命をたどり始める。
●そして「第九」の迷信・・・。

さらにはこの「千人」はマーラーが後に体験するであろう「臨死体験」を先体験したものなのではないだろうか?
少なくとも肉体的なものを遊離脱した感覚的な体験を描いたものに思えるのだ。
それがラストの歌詞にもあてはまる。
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心地よい時間だった。
構成的には支離滅裂なところもある曲だが、そんな人工的な形式では表現しきれない、
「神」と「人」の中間的な高みにマーラーはいたのかもしれない。


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