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2006/08/20(日)
24時間テレビ:チャリティコンサートin会津若松
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福島からいったん郡山に出て、 電車を乗り継ぎ1時間かけて会津若松へ。 タクシーで今日のコンサート会場となる「会津風雅堂」に到着。 城下町の景観を壊さない蔵造り風な外装がとても重厚で素敵です。
リハから開演の時間に、おいしいと評判のそば屋へ。 時間がないのでざるそば一枚で我慢したけど、とても満足! 極細のくせに強いコシ。そばの香りが絶妙。 薬味のワサビも甘く感じるほど風味がやわらかい。 そばを堪能して会場に戻ってみると、炎天下の中すでに長蛇の列。 ありがたいことです。 -----------------------------------------
公演は、ピアノトリオの三人は別のレパートリーを披露しましたが、僕ら歌組は昨日と同じ内容。 僕は多少MCを昨日よりくだけたものにしてみました。
今日の風雅堂は福島市音楽堂とは違い、音楽専用のホールではないので、 響きの面で昨日とは全く違う環境でした。 また、客席も横に広いので、お客さんにかけるのも範囲が広くなる。 目線などもかなり気をつけて歌いました。 --------------------------------------------- コンサートを終え、 どうしても行ってみたかった場所「鶴ヶ城」に行きました。 コンサートを制作してくださった読売新聞(会津支部)の局長さん自ら、 僕一人のために鶴ヶ城を案内してくださいました。
鶴ヶ城は様々な歴史の舞台になったところですが、 特に戊辰戦争時の白虎隊の悲劇は有名で、 僕も10代のころに大変ショックを受けました。
その史実をモチーフに土井晩翠は『荒城の月』の詩を書いたとも言われています。
石垣の重厚さや、堀のスケールの大きさに、 戊辰戦争時に西軍(会津では長州隊を「官軍」とは呼ばない)の攻撃に一ヶ月以上守りぬき、 「難攻不落」と呼ばれたのも納得。 とにかくスケールが他の城とは違いました。
天守閣に上り、会津の街を見下ろしました。 白虎隊が自刃したとされる飯盛山が遠くに見えると、感無量。 新選組の近藤勇がここで処刑され、 後に土方歳三がこの地を訪れた…と思うとシビれました。
その後、打ち上げに少しだけ出て、 電車がなくなるので7時前には飛び出しました。
この三日間の福島→会津若松コンサート・ツアー。 最後までとても充実しました。
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