舞台裏日記
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2007/01/09(火) 「魔笛」でのテンポの話
今日は「魔笛」のマエストロ稽古。
初めてお目にかかるマエストロの情熱溢れる棒は圧巻でした。
それについていけない自分がいた・・・悔しいです。

ともあれ、とても早いテンポに声と想いを乗せるのはすごく難しいと思いました。
もちろん機械的にテンポに言葉を乗せていけばモーツァルトの音楽が僕らを牽引してくれるのかもしれない。
・・・でも、そのことで音一つ一つ、言葉一つ一つが持つ「中身」が希薄になることもあります。
(僕はベーム崇拝者なのかも・・・)

モーツァルトの素晴らしさは、その軽快さの中に、それをも飲み込むほどの深みがあり、
それでいてその中身が決して表面の薄い膜(軽快さ)を突き破ることがないことだと僕は思います。

たとえばフィナーレのパパゲーノ「首吊りのアリア」では、
ワンフレーズごとにパパゲーノの気持ちや考えることが変わります。
そのコロコロと変わる表情の中にも、彼なりの深い「葛藤」が渦巻いていると思うのです。
パパゲーノはとても軽い性格で、早口で、子供のようにドタバタとしていますが、
それなりに彼はいつも真剣で、いつも冒険していて、一瞬一瞬を大切にしているのです。
しかもあのシーンはしっかりと聴衆の反応を見ながら、その反応に更に反応して歌っていきます。

あまりにジェットコースターのようなテンポだと、
まるでブラウン管の中で暴れまわっているコメディアンになってしまいます。
パパゲーノは同じコメディアンでも絶対に「舞台芸人」なのです。
常にお客さんと話をしているのです。

そのためのテンポ。
どこかに必ず余裕があるテンポというものがモーツァルトにはあるのです。

それを僕なりに見つけていかねば、この作品は歌いきれないと改めて感じました。


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