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2007/02/25(日)
パパゲーノってば・・・
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奥さんがまだしばらくは帰って来れなそうなので、 朝からお洗濯。 2回洗濯機を回しました。昨日から計4回。 乾いた洗濯物を取り込んで清々しい気持ちに・・・すっかり主夫です。
午後から「魔笛」の稽古。 今日はニ幕を中心に練習しました。まだ荒立ちを固めている段階。 シーンをつないでいくと、いろいろ起こる不都合や矛盾を解消していきながら、 ワンシーンずつ作っていきます。 基本的にパパゲーノというのは自由な存在だから、気ままに動くことが許されていますが、 だからこそ他の全ての人物との関係性を保ちながら、 自分がいるべき必然的な空間を見つけながら動いていかなければならないです。 まるでバスケのポジション取りみたいな感じ。 でも常にレーダーを利かせながら飛び回るパパゲーノはやっぱり楽しい。
------------------------ 練習後は父とステーキを食べに行きました。 300グラムは多いかな・・・と思いましたが、ペロっと食べてご飯もおかわりしました。 ・・・これで何で太れないんだろう・・・(???)
池袋のスタジオでソルフェージュのレッスンを一人して、 その後、もう一時間部屋を借りて自分の練習をして帰りました。 最寄り駅に着くと、もうお腹が空いていたので再び食事。 ・・・歌うとお腹が空くんでしょうかね〜。 ------------------------- さて、今日は【パパゲーノ】についてちょっとだけ語ってみましょうか。 作曲者のモーツァルトと台本を書いたシカネーダ(初演時パパゲーノを演じた人物)は、 このパパゲーノにとても重要な役割を与えています。 それは哲学とも言えるような内容です。
いい例が第6曲と第7曲の間のシーンの台詞。 パパゲーノ(黒人のモノスタトスと遭遇して・・・) 「ああ、驚いた。 しかし、考えてみりゃあ鳥にだって黒いのがいるんだから、 黒い人間がいたっておかしかないわけだ・・・。」 オペラの中で誰からもはじかれて人種差別を受け続ける奴隷のモノスタトスを、 唯一「人」として認めて受け入れているのはパパゲーノなんです。 そういう偏見とか、差別的な考えをもともと持ち合わせていないことは他のシーンにも表れています。
第2曲の後のシーン。 タミーノ「君は誰だい?」 パパゲーノ「誰って?あんたと同じ人間さ。そういうあんたは誰だい?」 タミーノ「私はたくさんの人々と国を治める王国の王子だ。」 パパゲーノ「たくさんの人々?国?王子?」 パパゲーノにとってタミーノの身分が王子であろうが何であろうが、関係がありません。 ただパパゲーノにとって大事なのは、相手が自分と同じ人間だということだけです。 ・・・このことが当時の、貴族や市民階級などの身分がくっきり分かれていた社会において、 とても重要なことであったことは言うまでもありません。 パパゲーノはその当時のヨーロッパ社会情勢から離別した、 新しい感性の持ち主であったと言えます。 それは同じモーツァルトの作品「ドン・ジョヴァンニ」の主役:ドン・ジョヴァンニにも当てはまります。 ------------------
ところでパパゲーノを「野生人」のように演じる人が多いのですが、 それは全くナンセンスです。 パパゲーノはむしろ感性豊かな芸術家です。 彼は鳥を捕まえて、それを夜の女王や侍女たちに持って行き、 その代わりに食べ物や飲み物をもらって暮らしています。 「鳥を捕まえる」という行為を「狩をする」ことだと勘違いしている人がいますが、大間違いです。 彼に捕らえられた鳥たちは「観賞用」であり、女王たちは焼き鳥を食べるわけではありません(笑)。 『美しい』ものを愛すという感性をパパゲーノは持っていますし、彼は決して鳥を殺しません。 また夜の女王たちも美しいものを愛でる趣向を持っていたことも重要です。 (オペラ冒頭に登場する大蛇は殺しちゃいますけどね・・・) パパゲーノ「取替えっこさ。星に輝く女王様とその侍女のためにいろんな鳥を捕まえて、 その代わりにオレは女王様から毎日食べ物や飲み物をいただくのさ。」
心優しいパパゲーノ。 いつも美しい鳥を追いかける生活は、実は貴族の暮らし以上に優雅だとは言えませんでしょうか。
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