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2005/02/01(火)
昔話
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先日、TVで青森の未熟児治療センターについて特集してた。 青森は赤ちゃんの死亡率が高いんだって。 そこで、未熟児を助ける為に県内の病院を全て繋いで、未熟児は何処の病院からでも受け入れる体制をとったんだって。 今までは、医師のつながりで紹介される病院が決っていたとか。 これから助かる赤ちゃんが増えるといいね。
何故こんな事を書いたかというと、アタシが未熟児だったからです。 以前にも書いたけど、双子で生まれたあたし達は小さかったんだよ。 アタシが1850g、妹が1600g。 もちろん保育器育ちです。 なんでも50日ほど入ってたって。(覚えてないけどねー) まー、よく育ったもんだわ。 アタシは4人兄弟なんだけど、みんな小粒な赤ちゃんでした。 兄は不明 姉は多分2800g位。 兄と姉は自宅分娩、その当時は珍しくも無かったとか・・・。 問題は兄の体重だわよ! 母子手帳に記されているのは、何と尺貫法だよ。 単位は斤、分かる? アタシは分からない(笑) 正確には不明だが、母が言う所では「グラムに直したら、1500g切ってるかも」だって。ヾ( ̄o ̄;)オイオイ
何でも里帰りして、次の日に生まれちゃったんだって。 これから産着とオシメの用意しようとした矢先で 、何も準備してなかったから大変だったって。 「おかげで、稲刈りに間に合っちまった」(母親談 笑) なんじゃそりゃ〜〜〜!!!
それにしても自宅出産で、産婆さんだけで、保育器なしで、どーやって育ったんだよ? そしたら、何と産婆さんがズーーーーっと懐に入れていたらしい。 聞いた時はそんなんで育つのかよ?っておもったが、最近読んだ新聞記事に、「被災地や、貧困な地域での未熟児を育てるには母の胸に抱いて育てるのが有効」ってのがあったのよ。 素肌と素肌を付けて、人肌で温めて育てるんだって! すげーーー、産婆さん、そんな知識があったんだねー。
今だに父は、丸い湯のみを茶筒に乗せて、ボールペンを置いて、「お前達が生まれた時の大きさ」とかやる。 ホント、小さかったんだろーね。 そんな小粒ベィビーだった我が兄弟達の子供はやはり小粒だった。 2000g〜3000g。 我が家の兄ちゃんは2520g、娘は2850g、こんなもんだろ。(笑)
↓いつの時代だよ!って写真だ(笑) 間違いなく、昭和40年代初めの頃の写真だ。 すごいよねー、後ろの屋根は茅葺だよ〜〜〜(;^_^A アセアセ・・・ 後ろ右側の山には去年話題になった、近藤勇の墓がある。 写真が古いからかなり汚れてるね。 こーして見ると会津はド田舎だったんだねー。
さて、アタシはどっち?(笑)
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